最後のホハレ峠〜・王子製紙作業道跡・〜3

 この作業林道跡に道路遺構など全く期待していなか 
った中での石組みの出現にモチベーションも上がり、
意気揚々と出発する。ここでの休憩中にグロメク氏が
持ってきたガソリンストーブが不調で使用できないと
いうトラブルが発生した。今思えばこれがこの先起こ
る悲劇の前兆だったのかもしれない。
 歩き始めた我々を待っていたのは相変わらず山の斜
面から道路に覆いかぶさるように生えて邪魔をする樹
木と薮である。この峠道が雪に固く閉ざされるギリギ
リ直前を狙って今日の日を探索に選んだ。 植生の葉も
枯れ落ち歩き易くはなっているのだが辛いものは辛い。


  しばらく薮を漕ぎつつ進むと不意に前方の視界が開ける。ザレ場である。
 どうやら今我々がいる尾根は地質が軟弱なのであろう。この先連続して土
 砂崩れが起こって峠道を完全に飲み込んでしまっている。難所ではあるの
 だが薮を漕がなくていいし展望もきくので我々はこれを歓迎していた。
 天気の方も一旦は雲行きが怪しくなったがすぐに回復した。時折吹く風が
 心地良い。今日の探索三週間前に視察に訪れた時、グロメク氏はこの時
 期の木々が風に吹かれる葉音が好きだと言っているのを思い出した。夏
 場だと葉が多くざわざわと騒がしいのだが、この時期は葉も落ちてまばら
 になり耳にちょうど心地良い音量なのだと。我々廃道探索家はまさに晩秋
 の山を全身で感じ堪能していたのだ。しかしその風の奏でる音がこの後、
 死の旋律となることにまだ二人の廃道探索家は知らない 。



ザレ場からの展望。今まで辿って来た道筋が見える
 
ザレ場で余裕のやらせポーズを決めるグロメク氏

 撮影の為に立ち止まった私を追い越して先行するグ 
ロメク氏。撮影した後、後を追いかけると薮の向こう
に見えるザレ斜面から「やばい」「あ〜」という声が
聞こえる。近づいてみるとザレ斜面途中で蹲ったまま
動かないグロメク氏が見えた。 また余裕のやらせポー
ズかと思ったが「まずい」とか「助けて」という言葉
を連呼している。大丈夫かと声をかけるとザレ斜面が
ズルズルで今にも足下が崩れそうだと言う。改めてこ
のザレ場を見渡すと今までのとは全く状況が異なって
いることに気がついた。 このザレ斜面の下には谷がも
の凄い深さでほぼ垂直に落ちているのである。


 これまでのザレ場は角度こそ急であったが、万一滑落してもすぐ下に受け止めてくれる樹木が充分な
密度で存在していた。樹木が無くてもその下がひな壇になっていたりと落ちてもまず大事には至ること
はないとみていた。しかしここは違う。あまりにズルズルな故に樹木や薮が根を張ることを許さないの
である。背筋が凍り付いた。ザレ斜面に蹲るグロメク氏の声もだんだんとか細くなっている。とにかく
冷静に落ち着くように声をかける。グロメク氏のいるザレ斜面より2.5m程下に1m感覚で直径8cm程の
木が二本生えていたのでもし滑落したらそこに掴まるように指示を出す。しかし両手両足で現在の姿勢
を維持しているので振り向くこともままならず、また55lのザックが仇となって後方と斜面の下の状況
が解らないのだ。この下が落ちたらタダでは済まない深く急な谷であるということ以外には。
 「ロープロープ」「早く」とグロメク氏が震える声で言う。しかし私がいる場所から木に縛ったロー
プを上方にいるグロメク氏に投げたとしても現在姿勢維持の為に両手をホールドしているのでロープを
キャッチできるかどうか怪しいしリスクが大きい。このザレ斜面の上からロープを降ろすのが最善なの
だが高巻きして上まで辿り着くのにかなりの時間がかかりそうだ。とにかく今にも斜面が崩れて滑り落
ちそうだと言う。一刻を争う事態なのである。すぐさま今私がいる位置からロープを出すことにした。
ロープを木に固定して下方からグロメク氏に投げてキャッチしてもらうか、それが無理なら少々私が危
険な目にあうが深い谷の途中に生えている木に渡ってロープを横に張り、滑落時に掴まることができる
ようにしようと判断した。 ザックに固定した20m虎ロープを外したがなかなか解けない。途中の薮漕
ぎで一度解けそうになったのでこれでもかというくらいぐるぐる巻にして解けないようにしたのが仇と
なる。焦るなと自分に言い聞かせるが手は震えていた。その時である。あの晩秋の風が吹いた。
さらさらと周囲の少ない樹木の葉や草が揺れて音をたてる。空は真っ青に晴れ、我々がかつてない危
機に直面している以外は平穏そのものだ。しかしこの時聞こえてきたのはまさに"死の旋律"であり、
言い様の無い恐怖を覚えた。生涯忘れることは無いであろう。
 グロメク氏は震える声で「ぁぁ〜〜ぁ〜ぁ」挙げ句には「お地蔵さんお地蔵さん」と呻いている。認めた
くはないが洒落にならない状況である。そしてなんとか解いた虎ロープが今度は上手く結べない。ダブル
エイトノットで輪をつくりひばり結びで木に縛るつもりだったがロープに変なクセがついてよじれているの
とツルツルで滑るのだ。この時ばかりはこの安物の虎ロープを呪った。結局ごくごく基本的なひと結び、
ふた結びで二本の木に縛るのが精一杯であった。ロープの準備ができたのと同時に、なんとかグロメ
ク氏が自力で向いている方向を反転することに成功した。足下のほんの一握りの湿った砂礫のおかげ
で片足で踏ん張ることができたからだと後に述懐する。この一握りの砂礫のおかげでなんとか両手がフ
リーになり、下方にいる私から投げたロープを無事にキャッチすることができたのである。

  こちらから投げたロープをキャッチしたグロメク氏
 はすぐさま身体に縛り固定した。そしてこのロープを
 掴んでバランスを取りながらザレ斜面から脱出するこ
 とに成功したのである。再び薮の中に戻ったグロメク
 氏も私もしばらく放心状態であった。この時改めて廃
 道探索そして山には危険や死が伴うのだということを
 思い知らされた。さすがにこれまでの安易な行動に自
 己嫌悪を感じずにはいられなかった。探索をここで切
 り上げ引き返すことも考えた。ともかくしばらく休憩
 した後、これからどうしようか話し合うことにした。
 1310時。出発地点から3km程進んだ地点である。


 協議の結果引き続き探索を続行することとした。これまで進んで来た行 
程は3kmと距離にすれば僅かであるが、かなり難儀させられている。そこ
を敢えて戻る気がしなかったというのが正しい理由かもしれない。それに
この恐怖のザレ斜面を迂回して行けるルートがありそうだったからだ。何
より死に直面したと言っても大袈裟ではないグロメク氏本人が進みたいと
申し出たのが大きかった。さすがは廃道特攻隊員である。そしてこの後は
難所が現れたら強引に進むのはやめて高巻くかロープを使って慎重に越え
て行こうと取り決めた。とにかくザレ斜面はもう懲り懲りである。
 ザレ斜面より20m程戻った地点に高巻きする為に登って行けそうな斜面
を見つけたのでそこを迂回ルートとすることにした。斜面に生える木やそ
の木の根、草に掴まりながら登って行く。


  しかしホールドする為の木や根に混じって。枯れて
 落ちてきた木の枝があるのが厄介なのである。このト
 ラップを見極めながら慎重に登り、先程のザレ斜面よ
 り上まで標高を稼ぐ。そして先程までは忌み嫌ってい
 た斜面から横向きに生える樹木に掴まりながらトラバ
 ースして行くのである。この時ばかりは本当に植生が
 有り難いと感謝しながら進んでいた。とにかく先程の
 ザレ斜面にすっかり恐れをなしていたので、これでも
 かという位にトラバースした後、斜面を降りて峠道に
 復帰した。峠道に再び降り立った我々を待っていたの
 はもちろん薮漕ぎである。


 峠道に復帰してしばらく薮を漕ぐとチェックポイン 
ト通称"悪魔の口"に辿り着いた。これは探索前の航空
写真調査の際、ちょうど新ホハレ峠道の最深部付近が
ドクロというか悪魔の顔に見えたからそう名付けたの
である。右画像を見て解っていただけると思う。
探索前にこの航空写真を見て恐ろしく感じたのはこの
の"悪魔の顔"のせいだったのかもしれない。1445時、
"悪魔の口"地点でかなり遅い昼食を取ることにした。
当初の甘過ぎる予定では15時には門入に到着し付近
を探索するつもりだったがまだ行程の半分にも達して
いなかったのである。

再び国土交通省国土画像情報閲覧システムより転用


"悪魔の口"より遠景を望む。門入はまだ遥か先だ
 
"悪魔の口"から少し進むと巨木が根こそぎ倒れていた

  "悪魔の口"から尾根の中腹を東へと進むとやがて谷
 に突き当たる。1515時。ここが新ホハレ峠道深部で
 最も東に位置するチェックポイント"最東地点"である。
 谷は小規模な滝を形成しており水も流れていた。そろ
 そろ日も傾いてきており野営地を考えなければならな
 くなってきた。今日中に門入に到着するのはまず不可
 能である。黒谷砂防ダムまで行くのも絶望的だ。この
 先なんとか野営に適した場所と水場を確保したいとこ
 ろだが、最悪水場が無くても大丈夫な食料と清涼飲料
 水を確保している。まだ時間は早かったので日没まで
 できうる限り前進することにした。


"最東地点"より先は再び薮が濃く遅々として前進できない
 
1630時。薮をくぐり抜け"悪魔の目"に到着。

 "悪魔の目"に到達する頃にはかなり日も傾いて路面が薄暗くなっていた。
そろそろタイムリミットが近づいて来ている。この先で地図上では門入へ
向かうこの新ホハレ峠道と、蕎麦粒山方面へ向かい途中で途切れている登
山道らしき道との分岐点があるはずだ。もし蕎麦粒山方面へ進路をとって
しまうとエラいことになってしまいそうだったので事前に"危険分岐点" と
して登録しておいた。しかしGPS上でこの地点に辿り着くと分岐点らしき
ものなどなく、それどころか道が完全に崩落してしまっている。上方に僅
かに道筋らしきものが確認できたが、あれがひょっとしたら蕎麦粒山方面
へと延びる道だったのかもしれない。日没が迫っており確実に周囲が暗く
なってきているので、もはや分岐点を詳しく調べる余裕などなかったので
ある。この崩落した斜面をトラバースするのはかなりナイーブであった。


日没が迫る斜面をトラバース
 
斜面を越えると道が再び現れ更に先には沢があった

  斜面を越えると再び道が現れたが、すぐ先には二つ
 の沢が横切っておりちょっとした難所になっていた。
 日没寸前ギリギリだったのでもう躊躇している場合で
 はない。ここで野営することを決意した。グロメク氏
 はもっと平坦で豊富な水場のあるところまで行きたい
 と主張するがもはや為す術は無く、すぐに観念して野
 営の準備に取りかかる。先にある沢を見に行くが水が
 全く流れていなかったので憤慨していた。まったく当
 初の予定では門入でテントを張り、持ち寄ったパスタ
 やウインナーで新ホハレ峠道突破を祝おうと目論んで
 いたがまさかこんなところで野営することになるとは。

 テントの設営が完了したのは1730時。辺りはすっかり暗くなっていた。幸い昼食が15時前と遅かっ
たので私はおにぎり一つ、グロメク氏は昼食のパンの残りで夕飯を済ませた。まだ寝るには早かったし
それに今寝ても真夜中に目が覚めるのがオチだ。もうしばらく起きていようと焚き火をすることにした。
しかしこの野営地の周りだけがいやにジメジメしており、拾って集めた木の枝から葉っぱまで全て湿っ
ているのだ。焚き火は得意だと自負する私をもってしてもどうしても火を起こすことができなかった。
使用不能となっているグロメク氏のガソリンストーブの燃料であるホワイトガソリンを着火剤としてト
ライしてみるがそれでもなかなか火が起こせない。30分程格闘した後ようやく火を起こすことができ
たが、本当に爪に火を灯すような寂しい焚き火であった。先行きの不安を暗示しテンションも下がる一
方だったが努めて明るく振舞った。しかしなんて頼りない焚き火だ。定期的にホワイトガソリンを投入
しないと消えてしまうのである。こんなことをしながらなんとか時間を稼ぎ、時計をみると2000時で
あった。明日もタフな探索になるのは必至である。それに備えて消灯とすることにした。


最後のホハレ峠 王子製紙作業道跡4へ続く
最後のホハレ峠 王子製紙作業道跡2へ戻る

探索トップへ戻る