最後のホハレ峠〜・王子製紙作業道跡・〜introduction

 ホハレ峠…その名称だけで探検心を高揚させられ且つ魅せられる峠は他にそうそうあるまい。
此所を訪れるようになって三年目になる。一年目は旧ホハレ峠のお地蔵様に会うことができた。二年目
はお地蔵様のおられるホハレ峠から延びる旧道跡を辿り沢をびしょ濡れになりながら下り旧徳山村門入
の地に立つことができた。そして三年目の今年は新ホハレ峠である。かつて王子製紙がパルプ材搬出の
為に作った作業道をトレースして門入の地を踏むのである。

 ただこの新ホハレ峠、車両を通す為に作られた道であるが故に傾斜は緩やかにしてあるのだが行程は
長い。そしてホハレ峠と言えばこの御仁、旧道倶楽部部長であり日本の廃道編集長であるnagajis氏であ
る。そのミスターホハレをこれ以上進めば間違いなく命が一つ減ると言わしめるまでに道が徹底的に崩れ、
荒れ果てているとのことである。そして更に悪いことに徳山ダム完成に伴う試験堪水の問題である。これ
まで車道として旧徳山村開田地区から門入にアクセスできた町道が封鎖されているのだ。よって仮に新
ホハレ峠道を越えて門入に到達できてもそこは陸の孤島と化しているのである。
 昨年の探索では恥ずかしながら自力での帰還はできなかった。門入から徒歩で開田地区へ抜けR417
を横山ダムまで南下しR303に接続。再び坂内村からホハレ林道を登り峠に置き去りにしてきたハンタ
ーを回収するつもりだった。が、日没を迎えんとするR417をとぼとぼ歩く我々を旧徳山村の住人の方
が助けてくださったのである。ホハレ林道途中まで車で送ってもらったのであった。

 そんなわけで三年目の探索はなんとしても自力での帰還を果たすべく、行程計画から装備まで一切が
っさい見直す必要があったのである。

 まずは装備である。行程が長い新ホハレ道を徒歩で一日のうちに門入に辿り着き、それから家に帰還
するのは到底不可能であるとみた。新ホハレ峠道の距離であるが車両で到達できる新旧道の分岐点から
門入まで約10kmである。整備の行き届いた登山道や林道であれば三時間もあれば行けるであろう。し
かし相手は未知なる"廃道"である。道が決壊したり崩落を起こしている箇所も幾つあるか解ったもので
はないし行程のほとんどはヤブ漕ぎであろう。通常の倍以上の時間を要すると推測するに容易い。
よって一泊する為のテントやシュラフなどの装備は不可欠である。
 次に服装であるが、昨年はライディングウェアとライディングブーツで黒谷を沢歩きさせられた。
バイク用のブーツは歩き難いことこの上なく、もともと防水性能もなく経年劣化も手伝っていとも簡単
に浸水した。また落差のある砂防ダムを迂回(高巻き)する際に急斜面を登ったのだがその時も難儀させ
られた。同行したグロメク氏は立ち往生する私を傍目にスニーカーで軽やかに崖を登って行くのである。
なので今回の探索ではフットワークの軽い靴を必ず履こうと心に誓っていたのだ。ウェアもバイクライ
ディングに特化したものではなく山歩きにかなう物にしなければならない。

 以上のようなことを考えていたのは九月も終わろうとしてる頃であった。夏に一度旧徳山村まで赴い
たものの酷暑の為にモチベーションが著しく低下してしまい、本当に新ホハレ峠道を行くのかどうかさ
えほったらかしにしたまま二ヶ月近く過ぎていた。涼しくなってきてようやく今回も同行予定のグロメ
ク氏から具体的な新ホハレ峠越えの行程について打診のメールがあったのである。
 時を同じくして、昨年の探索でホハレ林道まで車で送ってくださった方からもお便りが届いていた。
お仕事の傍ら飛騨の山中に自力で山小屋を建ててそこを起点に山登りをされておられるとか。グロメク
氏と私とで遊びに来て欲しいと綴られていた。全く同じタイミングでメールと手紙が届いたのでこれは
間違い無く我々を新ホハレ峠へといざなう風が吹いているのだと感じた。

 グロメク氏より国土交通省の国土情報の閲覧・提供
サービスのWebページより王子製紙道が写っている航
空写真を入手してほしいとの要望があった。さすが賢
明たる氏である。恥ずかしながら私はそのような便利
な無料サービスが存在するとは知らなかった。早速国
土交通省の閲覧サービスのページにアクセスして手に
入れた航空写真は撮影年度が昭和五十年とかなり古か
ったが、逆にそれが幸いして1/25000の地形図などに
記されているのと同じ道筋がはっきりと写っていたの
である。が、感動を覚えると同時に不安が襲ってきた。
言うまでもなく周囲は山ばかりでこの画像と全く同じ
ように道筋が残っているはずは無い。この鮮明な画像
を見れば見る程言い様のない恐怖を感じるのだ。もし
も"何"かあればこれは確実に死ぬと直感したのである。


国土交通省国土画像情報閲覧システムより転用


 更に日々会社員として糧を得ている身上、悲しいかな探索の時間にも限りがあるのである。
迅速且つ確実に生還する為にGPSを導入することを決意した。これまで使っていたMacがコンデンサの
不良により不調でIntelMacに買い換えようとしていたが新ホハレ峠道越えに全てを投じることに決めた。
ただ予算にも限りがあったのでヤフーオークションにてGarminのetrex地図表示機能付きのモノクロモ
デルと1/25000の50m等高線入り地形図のマップソースを入手。そしてこれらGPS機器を扱う為には
Windowsマシンの導入も必要不可欠であった。GarminのGPS端末にマップソースを転送するにはWin機
でしか対応していなかったし、カシミール3Dなどのソフトウェア等もMacに比べて遥かに充実している。
そこで中古でデカいデカいタワー機を購入したのであった。

  そして氏は恐るべき作戦を画策していた。新ホハレ峠道を越えて門入に到
 達後ゴムボートで西谷を下りダム湖となる揖斐川に出てから接岸してR417
 に戻ろうというのである。冗談でイカダを作って川下りをしようかなどと言
 ったのは私だが、本当にやろうとするとはなんて男だ。ただ氏は過去にゴム
 ボートで激流下りをやっていた経験者であり、そのゴムボートも現存してい
 るとのこと。メールの添付画像には立派なゴムボート"シーホーク"号の勇姿
 とそれを収納して背負ったグロメク氏の姿があった。これはさぞかし有名な
 メーカーの頑丈で本格的なボートだと思い聞いてみるとなんとトイザらスで
 ¥3,999で購入したという。しかし数々の激流を下ってきて損傷も無く大丈
 夫とのことだ。ここまでするのはやはり、新ホハレ峠越えは単に門入に到達
 することでは無く、戸入を経て本郷地区まで行ってこそのものだと。

私も全く同意である。が、問題は山積みである。法律的なことはもちろんで 
あるが収納時10kgもあり相当かさばるゴムボートを背負って10kmにも及ぶ
"廃道"を歩くことができるのかである。河川法及びダム関連法については氏
が調べた限りでは問題は無かったそうだが、徳山ダムは試験堪水に伴って何
人たりとも立ち入り禁止になっているはずだ。普通はダム湖は遊泳禁止だっ
たりするのだが、完成して何年か経ったダムでは確かにボートを浮かべて釣
りをしているのを見かける。が、やはり試験堪水中という状況下では同じよ
うにはいかないであろう。ともかく作戦としてゴムボートを導入するのはと
ても画期的で面白い。細かいことはさておいて本当にそれが可能なのか現地
にて立ち入り禁止区域の確認、接岸場所の選定をするべく作戦決行三週間前
に再度徳山ダムまで視察に赴いたのである。


  視察に訪れた我々を待ち受けていたのは堪水量日
 本一のダム建設の厳しい現実であった。ありとあらゆ
 る場所が立入禁止にされており警備員が常に監視の
 目を光らせていた。一歩でも立ち入ったら最後、かな
 り厳しい口調で追い出される始末である。この状況で
 上流から怪しげな男二人がゴムボートなんぞに乗って
 下ってきたら警備艇が出動して銃殺されるのは間違い
 無い。これによりボートによる上陸作戦は断念した。シ
 ーホーク号とそれを担いで廃道を歩くグロメク氏の勇姿
 が見られないのは至極残念である。ちなみに平成18年
 11月5日の堪水状況は左画像の通りだ。


 このボート上陸作戦の為に長めのネオプレーン製の靴下や水没しても惜しくない靴、力王タビックを
購入したと言うのに痛恨の極みである。ただこのシーホーク号は後の探索で必ずや出番となる時が来る
と確信している。その時はグロメク氏に背負ってもらい、現地でコーナンに売っている携帯DQNポンプ
で膨らませてもらおう(一時間二十分程かかるらしい。まさにタフな男のギアなのだ)。

 結局、新旧道分岐点までハンターで行き、新ホハレ峠道である王子製紙作業道をトレースして門入に
到達後に一泊。翌日は付近を散策してから黒谷の沢沿いに残る旧道跡を辿り、お地蔵様のおられる旧ホ
ハレ峠を経由して新旧道分岐点に戻りハンターを回収するという極めて順当な作戦で行くことにした。

 そして時は平成18年11月25日。天気は快晴。
新ホハレ峠王子製紙作業道探索決行を意味する「蕎麦粒山ノボレ」の電文が送られたのである。

最後のホハレ峠 王子製紙作業道跡1へ続く

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