最後のホハレ峠〜・王子製紙作業道跡・〜6

 1330時。ついに念願の門入に到着した。当初の愚か 
且つ甘過ぎた予定より約24時間遅れての到着である。
一時は門入に行くことを完全に諦めた。それだけに再
びこの地に立つことができ感無量であった。確かに二
日間にわたる藪漕ぎと難所越え、それに生命をも脅か
す状況に対峙する場面もあったが我々は今確かに門
入にいる。これも探索前に旧ホハレ峠に居られるお地
蔵さんにお参りしたお陰だとグロメク氏と振り返る。
まさに試練の連続であったが、最後の最後に門入とい
う最高の贈り物を我々に与えてくださったのである。
 

    しかし残念なことに私が勝手に門入の象徴と思い込
 んでいた路上河川もまた再整備の対象にされていたの
 である。先ほどの橋落下地点と同じく沢に土管が通され
 土とコンクリートで埋め立てられていたのだ。此処を渡河
 する為にゴアテックスのスニーカーを購入したというのに
 なんということか。つい三ヶ月前には此処で水浴びもした。
 それからの短い期間でここまで変貌を遂げているとは。
  そして門入の集落が目に飛び込んできた時にこの陸の
 孤島となるはずの地に建物が増えているように見えた。
 これまでの藪漕ぎによる疲労とショックで幻覚症状を起こ
 していたわけではなく、それは現実の風景だったのである。

 新たに建てられていた建造物…それはここに門入という
集落が存在したことを後世に伝える公園であった。公園の 
奥には石碑が建立されており、門入集落の歴史と地図、
そこに住んでおられた住人の名前と屋号が刻まれていた。
石碑の前には広場が整地されており立派な東屋が建てら
れていた。昨日のうちに門入に辿り着いて此処でテントを
張り、パスタと高級ウインナーで祝杯をあげたかったとどれ
だけ思ったことか。この公園から少し離れたところに軽トラ
ックが停まっており遠くから木材を加工するような音が聞こ
えている。たった一日ぶりではあるが、我々以外の”人”の
音が聞こえているのに懐かしさと安堵を感じるのであった。
 

 それにしてもここで作業に従事する為に車が乗り入れているが何処から来ているのだろうか。
よくよく見ると本郷地区からここまで延びている元町道が所々再舗装されている。此処にこうした石
碑や東屋がつくられているということは車での乗り入れが前提のはずである。東屋の広場の下には
これから駐車場をつくると思われる敷地が整地中であった。そういえば事前視察では徳山会館から
門入方面に向けてなにやら道を開削しているのを目撃している。あそこから此処まで道を繋げるの
であろう。門入に到着するまではまさか旧ホハレ峠から旧道を再開拓してスーパーホハレ林道とし
て生まれ変わるのではと本気で思ったがそれは杞憂であった。

 さて、あまり此処で感慨にふけっている時間は無い。新ホハレ峠道王子製紙作業道跡を通り抜け、
門入に到達するという目的は果たせた。しかしいつもしつこいくらいに言っているが家に帰るまでが
廃道探索なのである。これから先ほど歩いてきた新ホハレ峠道を黒谷砂防ダムへ下る道との分岐
点まで戻り、黒谷に沿ってホハレ峠旧道を登って行かなければならないのだ。
 1400時、次にこの地へ来る時はキャンピングカーで乗りつけてバーベキューだとグロメク氏と誓い
合い、お地蔵さんの居られる旧ホハレ峠へ向けて出発した。

  この再整備された旧道であるが、遥か上方にある新ホハ
 レ峠道から見下ろした時はよく整備されているように見えて
 いたし、前回視察で訪れた時は旧峠から黒谷に下りて行く
 徒歩道もロープが降ろしてあったりと至れり尽くせりであった。
 普通に歩ける登山道だと思い込んでいたのである。しかし
 それも二つ目の砂防ダムまでの話であった。昨年我々が転
 げ落ちるようにびしょ濡れになりながら沢を下って来た区間
 は人が通行できる最低限の整備しかなされていなかった。
 それでも昨年我々が下って来た時に比べればはるかにマシ
 であったのは言うまでもないのであるが。

 しかし二日間にわたっての藪漕ぎと難所越えで既に精も根  
も尽きかけている我々にはこの登山道はキツかった。いや、
グロメク氏は昼食を食べた後は息を吹き返したようでピンピ
ンしている。私は既に足が上がらなくなっていた。少し歩いて
は休憩するという体たらくぶりであった。門入に到着した時に 
は一旦は止んでいた雨も気がつけば本格的に降ってきてい
る。足場も滑りやすくなっており、とにかくこの帰りの道中で
アクシデントを起こさぬようにゆっくりと確実に旧道の行場と
も言える登山道を登って行くのであった。
 


気がつけば雨が本降りになっている
 
ズルズルの斜面にロープが渡してありそれに捕まって通行する

    この苦しい状況で黒谷を登りながら見上げた旧ホハレ峠
 がとても印象的であった。初めて訪れた時は何処が峠なの
 か気がつかなかったし、はっきりとした切り通しがあるわけ
 でもなかったのであまり峠らしくないなと思っていた。
 しかしこうして旧道を登って行けばピークにV字の線が見え
 てあそこに峠が存在していることがはっきりとわかるのだ。
 体力的にかなり厳しかったが旧ホハレ峠は先に見えている
 のでこれにかなり元気づけられた。
  そして1610時。お地蔵さんの居られる旧ホハレ峠に到着。


旧峠手前の急坂。ロープが降ろしてある
 
旧ホハレ峠。もやがかかってお地蔵さんが見えない

 旧峠に到着すると一台の軽トラックが停まっていた。昨年はここでハンターとベンリーが待っていて
くれたのだが、今回の我々の搭乗機はこの先の新旧道分岐点で待機しているのだ。
先行したグロメク氏は私より五分程早く旧峠に到着していたので分岐点まで先に行ってもらうことに
した。峠のお地蔵さんに無事に新ホハレ峠道を通り抜けられたことと門入に行けたことに感謝して手
を合わせ少し休憩した後、先行したグロメク氏の後を追う。分岐点までは車道で下りなのでこれまで
の登山道の登りに比べれば驚くほど楽だ。しかし雨足が更に強くなってきた。

 門入に到着した時はこれはホハレのお地蔵さんの贈り 
物なのだとグロメク氏と話していた。が、旧峠を登って来
る途中で雨が本降りになった時には、昨年に続いて今年
もかという感じでひょっとしてホハレのお地蔵さんってとん
でもない意地悪地蔵じゃないかなどと言ってたらバチがあ
たった。1620時、ハンターが待っている分岐点に辿り着く
とススキの藪の向こうから「タイヤの空気が抜けとる〜」と
いうグロメク氏の落胆の声が聞こえてきたのであった。幸
いにしてコーナンで購入したDQNポンプと予備のチューブ
は常に持参している。とりあえずここで空気を入れて坂内
の川上集落まで下りることにした。
 

 旧道の登山道を登っている時には喉が渇き無性にコーラが飲みたいなどと言っていたが、この雨
ですっかり身体が冷えてしまい川上の集落に下りた時には暖かい飲み物が欲しくなっていた。
公民館らしき建物の軒下にベンチが置いてあったので、ここで着替えをしたり荷物の整理をさせて
もらった。昼食をとってからすっかり元気になっていたはずのグロメク氏は愛機05式ハンターの思い
も寄らぬタイヤのパンクにこの雨、そしてこれからこの雨の中を帰らなければならないという現実に
すっかり打ちのめされていた。それに追い討ちをかけたのが私の作った夕食の塩チキンラーメンで
ある。このサッポロ塩ラーメンとチキンラーメンをブレンドした逸品であるが、私は好きだが氏はどう
にも苦手らしい。本当に踏んだり蹴ったりとはこのことだ。それにしても雨は一向に止む気配が無い。
しかし明日からは仕事もあるので家に帰らないわけには行かないのが辛いところだ。昨年もそうで
あったが、探索後の余韻に浸ることを全く許してくれないのがホハレである。もう散々である。グロメ
ク氏はこの時は一刻も早くこの界隈から立ち去りたいとまで言っていた。しかしそれもホハレは許し
てくれなかったのである。タイヤに空気を入れた後、しばらくは大丈夫だったが、八草トンネルを越え、
金居原に着く頃には空気が抜け切ってしまった。無慈悲にもここでタイヤのチューブ交換という荒行
をせざるを得なくなったのだ。もう笑うしかなかった。というよりどうにでもなれという感情の方が正し
いか。幸いにしてトンネルの中に緊急用の退避スペースがあったので雨に濡れることなく作業できた
のがせめてもの救いであった。そしてグロメク氏も私も家に到着したのは午前様である。

 家に帰るまでがこんなだったので新ホハレ峠道突破の余韻に浸るどころか、息つく暇も無く喧騒な
日常が待つ翌日を迎えてしまった。そして帰ってきてから一週間は近所の山や出先で車窓から見え
てくる山々を目にするだけであの延々と続く藪漕ぎがフラッシュバックしてうなされていたのであった。
 しかし一週間を過ぎた頃にはまた山へと繰り出して藪を漕ぎたくなっているから恐ろしい。私以上に
踏んだり蹴ったりだったグロメク氏も次なる藪漕ぎに備えてモンベルショップに通いつめ新たに装備
類を揃えているとのことである。まったく何ということであろうか。ホハレのお地蔵様は我々を一体何
処へいざなおうとしておられるのか。
 ちなみに純粋に藪漕ぎという点からすれば今回あれだけ苦しめられた新ホハレ峠道の藪も初級レ
ベルであるということを付け加えておく。真の藪漕ぎとは例えば、行く先は下っているのに猛烈な藪に
身体が押し上げられていくだとか、ハイマツの密生地帯にウェアやザックをズタズタにされ松脂まみ
れになって進んで行ったとか、かつて経験したことのない藪に時速50mを記録したとか、聞いただけ
でも身の毛がよだつ恐ろしい世界なのだ。

 そしてこうして報告書をおこしている現在もなお、我々は”ホハレ”に終止符を打つことができたの
かどうか解らないでいる。これが最後のホハレとは到底思えないのだ。この国がダム建設を続ける
限り、第二第三のホハレが現れるかもしれないのだから。 
 ホハレに興味を持つようになってから携わってきた全ての方々に感謝の意をこめて、我々のホハ
レの報告はひとまずここで終わらせていただくことにしよう。          最後のホハレ峠 完

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