九州遠征3

3日目 鹿児島−開門−南大隈

 2006年の元旦の朝は6時に目が覚めた。初夢はどんな夢を観たかは実は覚えていない。普段と変わ
らぬ目覚めであった。ここが鹿児島でホテルのベッドであるという以外には…。昨晩は降っていた雨も
すっかり止んで天気は回復へと向かっている。上々である。朝食はホテルのモーニング(
¥500とま
ずまずリーズナブルであった。
)で済ませる。今日は太平洋戦争時代末期に特攻隊の基地があった知覧
町の知覧特攻平和会館と行こうと決めていた。以前から是非とも訪れたいと思っていたのであるがなか
なか機会に恵まれなかった。
今回の九州遠征のもう一つの目的である。

 知覧へのアクセスは県道23を使った。ダート表記 
の道もあったが雨上がり後で霧も濃くあまり走りたい 
気分ではなかったからだ。特攻平和会館には9時半頃
に到着する。開館までに行きたかったのであるが、朝
もたもたしていたのがいけなかった。特攻平和会館は
年中無休だったりするのだが、元旦にも関わらず結構
人が訪れていたのに驚いた。館内の展示物をくまなく
観て回る。海中から引き上げられたままの姿の零戦も
感慨深いものがあったが、とりわけ特攻隊員の遺書、
辞世の句は涙なくしては読めなく、私にズシリと重い
ものがのしかかる。展示物はどれも貴重なもので非常
に点数が多く平和会館を後にしたのは昼近くであった。


特攻平和会館に展示されている零戦 館外より撮影


薩摩富士 開聞岳
  知覧特攻平和会館を後にして次なる目的地は開聞岳
 である。開聞岳は地図からみると海岸沿いに綺麗に円
 を描いているのが印象的でここも以前から訪れたいと
 思っていた。知覧から指宿方面へ向かっていると、い
 くつか面白い形の山が見えきたのだが、開聞岳は遠く
 からでもすぐにそれだと解った。整った円錐形の火山
 が徐々に近づいてくると何かこうこみ上げてくるもの
 があった。南方へ飛び立つ特攻隊員が最後に見た日本
 の山なのである。開聞岳周囲の道路を一週する。本当
 に穏やかで静かな海が広がっていた。路肩に駐車して
 いる車が結構あったが、どうやら釣り人のようである。


 開聞岳周囲を走ってから遅めの昼食をとる。コンビニでおにぎり2つとからあげ串である。今回のツ
ーリングの昼食はすべてこのパターンであった。 ここいらで今夜の宿をどうしようか考え始める。明日
の夕方には志布志港から大阪行きのフェリーに乗らなければならない。それを考えると今日中に大隈半
島まで行ってしまいたい。そこで佐多岬近辺で野宿を敢行することとした。そして開聞岳から指宿スカ
イラインを目指すべく走るが、スカイラインへアクセスする道が初詣客で凄い混んでいたのですっかり
気分が萎えてしまい、海沿いの国道R226を北上することにした。大隈半島へは自走ではなくフェリー
を使う。疲れていたというのもあったが、実はバイクで短い距離のフェリーに乗ったことが無かったか
らである。鴨池港から大隈半島の垂水へは南海郵船のフェリーで35分ほどであった。料金も船から降
りてからバイクに乗ったまま料金所で払うという便利なシステムだったのが嬉しかった。
 大隈半島に上陸してからはひたすら海沿いを南下する。目ざすはライダー御用達のあの地図に無料と
記されていた佐多岬に程近い丘の上にあるキャンプ場である。途中、ネッピー館という温泉でまたもや
ちゃっかり風呂を済ませておいた。 キャンプ場に着くと思いの他豪華な設備に驚かされた。トイレ、
シャワー室、屋根付き炊事場などが完備されている。 こんな豪勢なキャンプ場が無料とは全くもってま
ゆつばな話である。テントサイトの近くに看板が立てかけられており管理棟に料金を支払うようにと書
かれていたが、管理棟らしきところは藻抜けの殻であった。それにしても今回も某地図にしてやられた。
既に空は黄昏れ始めており、今更野宿地を変えるわけにはいかない。こうなったら強行泊である。

 ところでキャンプ場にいたのは私だけである。酔狂 
なライダーの一人くらいはいると思ったのだが甘かっ
た。 シーズンオフ(某地図には通年と書かれていたが)
のキャンプ場は非常にもの寂しいものがあった。おま
けに風が容赦なく吹きつける。しかし、そんな私を勇
気づけたのが生けとし生けるものの大先生、ゴキブリ
であった。最初は炊事場の床で固まっていたので既に
お亡くなりになっていたのかと思ったが、熊笹でつつ
くとゴソゴそ動きだした。その時気がついたのだが、
この大先生、本州にはいないサツマゴキブリである。
幼少の頃に図鑑でみて存在は知っていたが、本物を見
るのは初めてである。 これは非常に値打ちがあった。


マダラゴキブリ科 サツマゴキブリ

 風が強かったので夕食は屋根つきの炊事場でレトルトのご飯とカレー、インスタントラーメンを食す。
更にその後ウインナーを湯で暖め、テントの中へ持ち込みワインで乾杯した。
その夜はやはりというか、風が強くてなかなか眠れなかった。それでも阿蘇よりもずっと暖かったのと
身体が旅仕様にシフトしつつあったので4時間程熟睡できたのであった。     九州遠征4へ続く


※帰ってから調べてみるとやはりここのキャンプ場は有料であった。しかも¥1,000とかなりブルジョワ志向である。
 某地図に静かな怒りを覚える。報告書を書き終えたらキャンプ料金を送金するつもりである。


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