九州遠征4

4日目 佐多岬−都井岬−志布志

 4日目の朝は風でテントがはためく音で目が覚めた。阿蘇の時と比べるとずっと暖かい。本州で言え
ば3月下旬くらいの体感気温である。長いようで短かった九州ツーリングも残すところ今日一日である。
朝食はパック入りのぜんざいに餅を入れて食した。はてさて旅の最終日は何処へ向かおうか。せっかく
佐多岬近くまで来たのだから本土最南端の地を踏んでみたい。しかしながら佐多岬にアクセスする有料
道路の通行料が自動二輪、原付共に¥400である。私が知る限りの有料道路では原付の通行料というの
は自動二輪に比べて格段に安くなっているはずなのだが、ここではそれが通用しないのだ。私はそれほ
どの端っこマニアではないのでしばし悩んだが、やはりそうそう来る機会はないのだからと自分に言い
聞かせて行くことにした。

 さすがに本土最南端だけあって佐多岬近辺で見受けられる植生は本州で 
見られるそれとは全く異なるものであった。南国チックなのである。道の
周りには山、森というよりはジャングル地帯が広がっているといった感じ
である。今日が正月二日だという事実を忘れさせられるのだ。そして問題
の佐多岬ロードパークに到着。正月だから閉鎖されているということもな
く¥400の通行料も笑顔でちゃっかり徴収されるのであった。道自体は可
も無く不可も無く。ただ有料にしては汚い舗装だなと思える。が、普段旧
道や廃道などを好んで走っているので全然問題無いレベルである。しばし
走ると駐車場らしき広場とトイレ、まるでオバケのような大きい樹木が出
迎えてくれる。どうやらここが終点のようである。どうやら駐車場の端に
あるトンネルをくぐって徒歩で岬まで行かなければならないようだ。

佐多岬ロードパーク終点の隧道

 しかしである。そのトンネル内に売店のようなものが立ち並んでいるのが見えた。嫌な予感がする。
近づいてみるとやはりそうだ。そこには強靱な突破不能第二ゲートが立ちはだかっていたのだ。ここか
ら徒歩で佐多岬まで行くのに更に¥100払わなければならないのだ。これには閉口させられた。最初の
ゲートで¥400払ってるのに、どうしてその中に含まれないのか解せない。完全に気分は萎えてしまっ
た。おまけに岬の展望台は入れないらしい。本土最南端の看板を写真に収めてすぐに引き返してくるの
であった。帰ってから調べてみるとかなり悪評高いことで知られる佐多岬であるが、いろいろと事情が
あるらしい。佐多岬付近の土地は社有地であるらしく、一時は閉鎖の危機もあったそうだ。なんとかこ
こを訪れる旅人を失望させぬよう配慮してほしいところである。


延々と続く鹿児島県道74

  佐多岬を後にして次なる目的地、鹿児島県道74へと
 突入する。地図をみても長く細い道が延々と続いてお
 り、間違い無くこれは険道の類であると直感した。
 予想通りの道幅、ガードレールすら設置されていない
 狭路である。さらにスピードが出せないので距離が稼
 げない。いつ終わるとも知れない長さウハウハであっ
 たが、二度程浮き砂利に前輪を取られ転倒しかけるの
 であった。後続の4輪ドライバーに目撃されてしまい
 「気をつけてね!」と言われる始末orz 最初はウハ
 ウハではあったが、あまりに長い行程に終いにはウン
 ザリさせられる鹿児島県道74であった。


 県道74を無事に通過することができ、今晩乗るフェ 
リーが出発する志布志港には午後2時前には到着した。
さすがにまだ乗船するには早かったので、11年前に訪
れた都井岬へ赴くこととした。都井岬まで行くには牛
馬保護協力費として¥100徴収させられるが、こちら
は全然納得のできるものである。今回は灯台には登ら
なかったが11年前と変わらぬ雰囲気になぜか安心させ
られたのであった。この後、志布志へ戻る途中の国道
にある旧道トンネル「都井隧道」を訪れたが、崩落の
危険があるとのことで強靱なゲートが設置されており、
隧道の通り抜けはできなかった。


都井岬へ通じる有料道路


 再び志布志港に辿り着いたのは午後4時過ぎであった。さすがに帰省Uターンラッシュということで、
混雑している。帰りは二等船室、所謂雑魚寝である。既に何組かの熟年夫婦が陣取っておられた。軽く
会釈して自分の場所を確保してベッドメイキングを済ませ、すぐさま風呂に向かう。風呂に入った後に
パンとインスタントラーメンの夕食を済ませて二等船室に戻る。お隣は熟年夫婦の旦那さんであったが
奥さんの方がこの人はいびきがヒドいからと自分の敷き布団を防音壁にしてくださり、備えつけられて
あったソファーで寝るという。言われていた通りなかなか豪快なサウンドであったが、もっと強力な低
音ウーハーを搭載している知り合いがいるのでなんのことはない。すぐに眠りにつくことができた。
ただこの晩は結構海が荒れていたようで波に船が叩きつけられる音が何度も響いていた。子供が恐さの
あまり泣き出すほどであった。

 翌日朝、無事にフェリーは大阪南港に到着。京都の自宅には二時間程で帰ることができた。
4日間の旅であったが終わってしまえばあっという間であっけないものである。しかしながら年末年始
の旅行というのもいろいろと感慨深いものがあり、近年まれにみる充実した年末年始であったのではな
いかと思っている。次にこんな長旅ができるのはいつのことやら…である。         

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