九州苦行ツーリング2006〜2007 その5

五日目 北川−門司−関門トンネル−廿日市

 5日目の朝は辺りの空が白み始めると同時に起き、すぐ 
さまテントの撤収作業を始める。すでに帰途についてはい
るもののまだ九州、それも宮崎県にいるのである。今日は
とにかく本州に上陸して出来得る限り京都に近づきたい。
天気予報は雨だったがまだ持ちこたえている。この隙に朝
食を作って食べてしまえと、昨年と全く同じようにパック入り
ぜんざいと餅を取り出だしてバーナーで暖める。しかし完
成していざ食おうとした時に雨が降り出してきた。河原の橋
の下にテントを構えていたのだが風が吹いているので横向
きに雨が殴りかかってくるのだ。まったくいつもこんなんであ
る。タイミングの悪さだけは自慢できる。
 

 朝食のぜんざいをサっとたいらげ、すぐさま出発した。すぐ近くに道の駅「北川はゆま」があったの
でトイレを済ませた後、ひたすら国道10号を北上する。宮崎と大分の県境付近はかなり山深く、天
下の二桁国道と言えども交通量はまばらである。とても寂しいし、雨足は強くなるばかりで視界も悪
くなる。そして冷たい。京都はまだまだ遥か先だ。かなりナイーブである。今は正月だというのに一体
何の為にこんな思いをしてまで走っているのだと自分に問い続ける。そんな最中、対向車線の路肩
をよぼよぼと走る雨合羽のフードを深くかぶった荷物満載のチャリダーを発見した。嗚呼、自分は旅
がしたくて九州までやってきたんじゃないか。何をナイーブになっているんだと自身を叱責する。見た
目よぼよぼではあったが、確かにしっかりと力強くペダルを漕いでいたチャリダーに勇気をもらった。

 それでも雨は容赦無く私とハンターを打ちつけ、大分市に差しかかった頃には首もとと袖口から浸
水していた。オーバージャケットの上から無理やり登山用ガチャピン合羽を羽織っていたせいである。
袖口は止むを得ないが、首もとは合羽のジッパーが窮屈で喉仏の下くらいまでしか上がらないのだ。
思いきってオーバージャケットのインナーとして中にゴア合羽を着た方が浸水を防げるし身体も冷え
なくてよかったんじゃないかと思ったが、何しろ大枚をはたいて購入したオーバージャケットである。
雨に濡らすのが勿体無いと考えたのである。この時ばかりは見た目の良さでオーバージャケットを選
んだことを後悔していた。機能性を重視して完全防水のオールウェザージャケットを買っておけばよ
かったのだ。そして途中給油するために立ち寄ったセルフサービスのスタンドのトイレで自身の姿を
鏡で見て愕然とした。異常なまでに着膨れしているのである。まさにメタボリックライダーだ。

    大分県を通り抜け福岡県に入ると道も混み出してきた。ところどころで参拝客
 渋滞に捕まる。雨は尚も降り続けている。もうお昼時なのでお腹も空いてきた。
 しかし雨合羽に身を包み濡れ鼠、しかも着膨れが凄まじくマシュマロマンと化し
 ている。なかなか店に立ち寄る勇気が出なかったがさすがに空腹に耐えられる
 はずもなく、意を決して国道沿いの結構混雑しているコンビニにピットイン。
  雨合羽を脱ぎ首に巻いていたネックウォーマーを頭にかぶり店内に入る。おに
 ぎりと肉まんと栄養ドリンク、そして今晩の野営用のレトルトカレーとご飯を購入。
 コンビニの狭い軒下でおにぎりと肉まんを頬張る。濡れ鼠でなんともみすぼらし
 いが開き直ってこの状況を楽しもうと努める。しかし寒さと雨でなかなか脳内麻
 薬が分泌されないのが辛いところだ。

  関門トンネル門司側坑口に到着したのは15時少し前であった。福岡県内 
でいろいろと探索したい物件は数多くあったものの悲しいかなこの雨で完全に
モチベーションは潰えてしまっていたのである。はてさて関門トンネルであるが
ツーリングマップルには原付は人道を使って海峡横断と記されていたので最
初は人道を探して彷徨っていた。しかしトンネル手前の案内で50cc以上の二
輪車も車道を走れるとのことである。人道を”押し”で歩くつもりだったのでや
や拍子抜けであった。坑口のフグの絵に脱力したがともかくここで九州とはお
別れである。名残惜しいという感情よりは早く京都に帰りたいというのが正直
なところであったのがなんとも寂しい。トンネル内は異常に蒸し暑くしかも渋滞
していたが雨に打たれないので安堵を感じていた。
 

 トンネルを抜けていよいよ本州、山口県に突入である。高校の修学旅行と卒業旅行の際に新幹線
と在来線で通過したことはあるが、自らの足でこの地を踏むのは初めてである。
 しかし困った問題がある。それは四国・中国のツーリングマップ、それに代わる地図を今回入手し
ないまま来てしまったのである。旅の途中で購入することもできたが、どのみち国道2号をひたすら
東進するだけだから買わなくていいやと思ったのが運の尽きであった。

 本州に上陸してからは雨はすっかり上がっていた。しかし日はどんどん落ちてきているので寒くなっ
てきている。なんとか今日中に広島県に入って野宿するべくひたすら走る。こんなだったのであまり街
並みがどうだったかなどを観る余裕もなかったのである。ただ国道沿いのいたるところに立てかけら
れていた巨大なDVDショップの看板に男優加藤鷹がにやりとスマイルするアップ写真が使われてい
たのは笑えた。だいたいこのテの看板はいかにもな風貌の女優であるはずだし、これまでは実際そ
うだったのだが不意にこれが現れたのがツボにはまった。まったく山口県内で印象に残ったのがこれ
なので旅情もへったくれもあったものではない。

 なんとか広島県までと思っていたが、岩国に差しかかったところで日没を迎えてしまった。これまでも
野宿できそうなところを探しながら走ってきたが全く無かったのだ。地図がないので事前に絞り込めな
いのが痛恨である。岩国市内から北に進路をとり山野へ分け入る。高速道路や鉄道の橋梁の下で野
宿できそうな場所を探して彷徨うが、中途半端に人家の近くだったりして全く適さない。更に山奥に入る
と道幅が車一台分くらいしかない狭路となりやがて細い細い十字路に出た。そこにトタン屋根のバス停
があったが周りには人家も施設も何もない。一体こんなところになぜバス停が…という感じである。
最初はもうここでテントを設営しようと思ったが周りは落ち葉が異常に堆積しており、また凸凹で傾斜も
結構あったのでハンターのスタンドが立てられなかった。なんとも不気味な空間であり、この停留所に
いたらネコバスがやってきそうな雰囲気なので恐れをなして逃げ帰ってきた。

 日は既に完全に落ち、身体も冷え切っていたのでとにかく温かいものが食べたくなっていた。再び国
道2号に戻ると全国どこにでもありがちなサッポロラーメンの看板が掲げられたラーメン屋があった。
味は甘めにみて可も無く不可も無くといった感じで客もほとんどというか一人もいない、今の私のような
濡れ鼠にはこういう感じの店が一番入り易いのである。合羽を脱いで店内に入るとやはりそうだ。客の
私よりテレビの方が気になっている感じである。だが今はそれがちょうどいいのである。なにぶんこちら
も店に入るには少々小汚いので気がひけているからだ。ちゃんぽんと炒飯を注文するとお尻が濡れて
いることに気がつく。レインパンツはワークマンで購入したもので透湿性はゼロであるので長時間履き
続けていたせいでムれて濡れてしまったようである。可も無く不可も無いちゃんぽんと炒飯ではあった
が、店内は暖かく妙に居心地が良かったのも手伝ってこのうえなく美味しいと思ったのであった。

 ラーメン屋を後にしたのは夜ももう19時であった。もうこのまま走り続けて夜行で京都まで走ろうかと
思ったが一時間ほど走ったところでドッと疲れと睡魔が襲ってきた。このまま走り続けていたら死んでし
まうと思ったのでとにかくもう橋梁の下でなくて何処でもいいからテントを張って寝ようと決意する。
 しかし沿岸と国道沿いに野営できそうな場所は皆無であった。この時ばかりは中国地方の太平洋ベ
ルト地帯は野宿不毛の地だなどとひとりで勝手に憤慨していたのであった。そして不意に今まで走って
いた国道2号がこの先から自動車専用道路となっているではないか。もう散々であった。地図も無いの
でどう迂回したらよいのか解らなかったので適当に山野部へ向かいそうな道を走り野営地を探すことに
した。今居るのはどうやら廿日市市らしい。キャンプ場の案内標識があったのでそれを頼りに峠道をど
んどん登っていった。峠に差し掛かったところに空き地があり一台の重機が放置されていた。峠道から
やや奥まったところに広場はあったのであまり人目につくことも無さそうだ。躊躇することなくここで野営
することにした。既に本州に入っているしここはまずまず標高も高そうだ。吐く息は白く、テントのポール
も泣けるほど冷たくなっていたのであった。

 テントを設営して中に潜りこんで時計をみるともう22時を回っていた。シュラフの中に入ろうとした時
に一台の車がやってきた。そしてなんとテントのすぐ隣に車を停めるではないか。この空き地の関係者
であろうか。何かいちゃもんをつけられるのではと思い臨戦態勢を整えるが、車から降りてくる気配も
なく五分ほどで立ち去っていった。まったく、一体なんだったのであろうか。

 さすがにこの時間まで走り続けていたので疲労も半端なものではなかった。シュラフに潜ると同時に
眠りに落ちるのであった。

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