九州苦行ツーリング2006〜2007 その5

六日目 廿日市−広島−加古川−神戸−京都

 六日目の朝は寒さで目が覚めた。もうここは九州ではない。 
辺りはまだ真っ暗で時間を見ると5時過ぎであった。野宿不
毛地帯の都市の沿岸部には辟易としていたし、もう一刻も早
く京都に帰りたいという気持ちがあったのですぐさま撤収して
出発することにした。昨日この野営地へ辿り着いた時は真っ
暗で周囲の状況が全く判らなかったが、空が白み始めてくる
と眼下に廿日市市街と瀬戸内海が遠望できた。なんとここは
絶好の夜景ビューイングスポットだったのである。 
 寒かったので路面凍結を恐れて慎重にゆっくりと峠道を下
って行く。幸いにも気温はマイナスまで下がることはなく路面
凍結はしていなかった。 
 

 廿日市市街に降り、昨夜行く手を阻まれた西広島バイパスの原付で走れるエスケープルートを探す。
どうやら街中の県道を東へ進めば再び国道2号に接続できそうである。

    廿日市市街を通り抜けるとすぐに広島市に入った。寄り道
 などせずにひたすら京都を目指すつもりだったが、ここ広島
 も地に足をつけたことのない街である。まだ朝も早く人もまば
 らだったので平和記念公園へ立ち寄ることにした。
  公園は朝の散歩やランニング、ウォーキングなどされてる
 方が多くとても雰囲気の良い穏やかなところであった。しかし
 原爆ドームを目の当たりにすると戦争と人類の犯した愚行を
 嫌と言うほど思い知らされた。ドーム前の石碑にはたくさんの
 折鶴が置かれており、ここで黙祷をささげた。
  長居することはなく、ハンターを思いきり駐車禁止箇所に置
 いていたのですぐに戻って出発した。

 今朝はテントを撤収して朝食も食べないまま出発したのでお腹が空いてきた。広島、東広島を抜け
竹原市に差しかかったところのコンビニでパンとコーヒーを頬張る。この辺りは結構冷え込みがキツい
らしく空き地や畑の草には霜が降りていた。缶コーヒーの温もりが有難い。

 岡山県に入ると国道2号は高架などでバイパスされており非常にハイアベレージであった。ここまで
来ると見慣れた関西圏のナンバープレートの車もチラホラ見られるようになり、また案内標識に神戸
の文字も現れ安堵するのであった。岡山県と兵庫県の県境付近で正午を迎えたので、道脇の空き地
で竹原市のコンビニで買いこんでいたパンとおにぎり、栄養ドリンクで昼食とした。
 さすがに兵庫県まで来てしまえばもう家に着いたも同然だ。この時はそう思っていた。帰りはデカン
ショ街道を流しながら京都を目指すつもりでいたのだ。
 しかし姫路市に入った辺りから道が混んできた。片側一車線で路肩の狭いところが多くすり抜けも
困難である。更に今回は九州地方の地図しか持っていなかったのでデカンショ街道が国道の何号な
のかも解らないでいた。GPSの簡略地図を見るテもあったがパッキングした荷物の中なので取り出す
のに面倒だ。コンビニに立ち寄って地図を見るのも面倒臭い。このまま走っていたらそのうち案内標
識に篠山の看板が現れるだろうと能天気に構えていたのであった。しかし篠山の文字は現れること
なく、加古川市内に入ると渋滞で完全にストップしてしまったのである。すぐに嫌気がさして加古川橋
を渡ってからすぐに進路を北向きにとり山間部へと進む。

 この時素直に北上して行けば良かったのだが、途中で東向きに進路を変え三木方面へと進んだの
が迷走の始まりであった。それからは何処をどう走っていたのか全く把握できていなかったが、帰っ
てから調べるとまずは県道38を東進し、県道85で南下→国道428にぶちあたり北上してなんとまた
県道38に戻って来ていたのであった。それからやっと国道176に抜けることができたのだ。
さすがにこれを北上してデカンショ街道へ出て京都に戻るのはちょっと遠回りだと思った。このまま国
道176を南下して川西から国道423に出たほうが近いんじゃないかと考えたのである。

 そして国道176を南下するとすぐに渋滞していた。バイクだからすり抜けできるからいいやとそのま
ま進んだらドツボにハマった。西宮名塩辺りは完全片側一車線で路肩も狭く、荷物満載も手伝ってす
り抜けも困難である。帰省ラッシュなのであろうか関西圏外のナンバープレートの車が目立つ。家族
連れのドライバーのお父さんは皆一様に狼狽した表情である。
 この渋滞箇所でかなりの時間をロスしてしまった。川西へ抜けた頃には既に夕闇が迫っていた。
結局国道423を北上せずに国道171を使い、京都の自宅に帰着したのは夜の7時半である。

 前半は旧加久藤峠探索や開門岳登山を楽しんだ今回の九州ツーリングだが、行程の半分以上は
京都を目指してひたすらの移動であった。苦行ツーリングなどといって書き始めた今回の駄文レポー
トであるが、確かに帰りの道中は本当に辛かった。しかし時間が経っていることもあり書きながら苦行
というほどのものではなかったかなんて思っている次第である。今回の旅で得られたこと…実のところ
今でもよく解らない。ただ一つ解ったことといえば鹿児島は遠かったということである。     完


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