九州苦行ツーリング2006〜2007 その4

四日目 鹿児島−都城−日南−北川

 2007年元旦は7時に目が覚めた。バイクツーリングの最中 
にしては遅い目覚めである。本来ならこの時間に出発したい
ところだがまたしても寝坊してしまったのだ。どのみち今日か
ら京都へ向けて帰途につくのだからぼちぼち行けばいいやな
どと開き直っているのであった。朝食はバイキング形式の和
食でかなりボリュームがあったので満足。
 朝食を済ませてから準備を整え出発したのは8時半であっ
た。通りかかった神社では露天が並び参拝客も結構いてか
なり賑やかだ。これをみて嗚呼今日は元旦なのだと実感す
るのである。今日の目的地は特に考えてはいなかったが、
とりあえず国道10号を本州へ向けて走ることにした。
 

    国道10号を走りながら漠然と目的地を考え、十数年前に
 訪れた都城へ立ち寄ることにした。都城には10日程滞在し
 て仲間と共にこの界隈をドライブしたりして遊んだ覚えがあ
 る。なにしろ多感な頃で(ようは今ほど擦れていなかった)、
 とても印象深く良き思い出として残っているのである。その
 時にも訪れた国分のハイテク展望台で道草を食う。あの時
 は陽射しが眩しい夏であったが、今は冬。しかも元旦である。
 人一人いなく閑散としており寂しいことこのうえなかった。し
 かも寒い。それでも錦江湾と桜島が丸ごと見渡せる景色は
 すばらしく、物思いにふけるのであった。

 なんとか曇り空で持ちこたえていた天気も都城に辿り着いた途 
端にポツリポツリと降りだしてきた。まったく感慨にふけるヒマも
あったものではない。今回の旅から防風用に導入したオーバー
ジャケットは完全防水ではないがある程度の撥水性能があるの
で小雨程度なら30分くらいは走り続けていても中まで水は滲みて
こないのである。どこかでカッパに着替えたいが市街地のド真ん
中なのでなかなか見つからない。そういや都城の総合運動公園
があることを思い出した。そこも十数年前に夜な夜な涼みに出か
けた場所だったりするのである。小雨の降る中、街を見ながら
ハンターを走らせる。当時、連れが勤めていたレンタルビデオ屋
は家電品屋に変わっていた。同じくここに勤めていたお姉さんの
ことをちょっと好きになったこともあったので、レンタル屋さんが
無くなってしまったことにショックを受けるのであった。

当時、エンヂンブレーキの文字にウけたものだ

 都城総合運動公園に辿り着くもやはり閑散としている。いるのは守衛のおじさんくらいである。野球
場の駐車場で雨宿りをさせてもらい、近くにコンビニがあったのでそこで昼食を買って食べる。
 天気が良ければ都井岬へ行くつもりだったがやはり予報どおりであるので大人しく帰途につくことに
した。ただこのまま国道10号を北上するのはつまらないので国道222号飫肥街道を通って日南へ抜
けることにした。日南フェニックスロードを走りたいというのもあったが、私の好きな歌い手が日南出身
ということが食指を動かしたのだ。

    ツーリングマップルで飫肥街道を見ると興味深い旧道があるのに気がついた。
 いくら雨降りとは言え私とて旧廃道探索家、このままスルーすることはできない。
 道路決壊の為通行不能の看板を無視して新上熊トンネル上にある旧道に突入
 した。旧道上には旧隧道である上熊隧道が残存していた。隧道手前にはロープ
 が張ってあり「この先道路決壊」と書かれている。それがどのような決壊なのかを
 確かめるべく隧道を通り抜けてみた。隧道を通り抜けた先で派手に決壊していた
 が、路肩部分が辛うじて残っている。バイク一台分くらい通れるかなと思ったが、
 その路肩部分の手前が陥没して溝になっており、これを一人で通り抜けるのは
 かなり難儀しそうである。今回は荷物満載のツーリングであり、アタックにやって
 きたわけではない。そう自分に言い聞かせて退散したのであった。

 日南=南国というイメージがあったが飫肥の周りは風情のある町並みが続いたので驚いた。海に近づ
くにつれて南国っぽくなってくる。なんというか住み心地の良さそうな街だなと感じた。日南フェニックスロ
ードは今が冬ということと生憎の雨ということが重なって、夏に走った時のような爽快さや眩しさは皆無で
あった。救いだったのが北上するにつれて天気が回復したことである。
 そしてところどころ渋滞している箇所があった。なにごとかと思いきや、神社の参拝渋滞のようだ。この
先何度もこの参拝渋滞に巻き込まれ、すり抜けを敢行することとなる。

 宮崎市に入り再び国道10号に接続する。あとはこれをひたすら北上して本州を目指すのみである。
今日中にできうる限り本州に近づきたい。最初はなんとか関門トンネルをくぐって本州までと考えていた
があれこれ道草を食っていたせいで到底無理である。

 結局大分県にわずかに届かず、宮崎県の北川町にある道の駅「北川はゆま」近くの河原の橋の下で
テントを構えることとした。例のごとく野営地をなかなか決められずにいたので、テントを設営した頃には
どっぷりと日が暮れてしまったのであった。夕飯は一昨日の鹿児島さつま町の野宿と同じように米を炊き
レトルトの中華丼を食した。風が結構吹いていたせいでせっかく橋の下にテントを構えたというのに、横
向きに雨がテントを打つのである。ただ雨は時折小雨程度に降るくらいで、夜中になると完全に止んでい
たのが幸いであった。気温は極めて暖かかった。スパッツと長袖Tシャツでシュラフに潜りこんでちょうど
いいくらいであった。明日からは雨も本格的に降るだろうしそれに備えるべく、また疲れていたせいもあり、
夜8時前には寝てしまったのであった。

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