九州苦行ツーリング2006〜2007 その3

三日目 さつま町−枕崎−開門岳登山−指宿スカイライン−鹿児島

 朝、目が覚めると既にテントの外は薄らと明るくなっていた。時計を見るともう7時近くである。昨日に
引き続いて寝坊気味だ。それにしても昨晩はよく眠れた。夜中の0時頃に一度目が覚め、用を足しに
外へ出たのだが澄んだ星空が綺麗であった。夜は月が満ちていたのでライトが無くても全然平気なく
らいに明るかった。なのでテントに戻っても闇夜に怯えることも獣に怯えることもなく、すぐに眠りに着く
ことができたのである。テントフライの内側に霜が張るほどの寒さであったがスペース暖シート「ぽかぽ
か」とシュラフのコラボレートは強力で全く寒いと感じることは無かったのである。
 目が覚めるとすぐに撤収の準備に取りかかる。シュラフから出るとさすがに寒い。テントを解体して朝
日で乾かしてる間に朝食をつくる。といってもインスタントラーメンであるのだが。昨晩米を炊いてすき
焼き丼を食べたので鍋はカピカピになっているが、そのままラーメンを作って食べ終えた後にウェットテ
ィッシュ一拭きで綺麗になるのだ。我ながら合理的なローテーションを編み出したものである。
 撤収作業を完了して野営地を出発したのは8時前であった。

 さつま町より南を目指してひたすら国道268号を走る。鹿児島県と言っても今走ってるのは北薩摩と
呼ばれる地域である。さすがに朝は冷え込んでいて山間部の路肩の日陰の水溜りは凍っていた。
今日の目的は開門岳登山なのでなるべく早く登山口に辿り着いてなんとか午前中のうちに入山したい。
最短コースは鹿児島市内を通り抜け指宿スカイラインを南下するコースだが、それは開門岳からの帰
りのお楽しみにとっておきたい。それに今回はせっかくのツーリングなんだからと国道328号から県道
40号と県道37号を経由して東シナ海へ抜け、国道270号を南下して枕崎に出てから国道226号を
東進して開門岳を目指すことにした。

 陽が昇れば昇るほど、南へ行けば行くほど暖かくなってきた。枕崎に着く頃には停止していると暑い
ほどだ。それにしても南国の車は本当にマナーも良くのんびりと走っておられる。それに二輪車に慣れ
ていないのか、大きく路肩に逸れて後続の車に道を譲っても躊躇してなかなか抜いて行かないのであ
る。まったく京都の鯖街道とはえらい違いようである。あそこは特に休みの日の夕方などは躊躇するこ
となくスレスレで抜いて行くばかりかスレスレで併走する不貞の輩もいるくらいだ。こちらの道は殺伐と
することなく本当にのんびりと走ることができるのである。

 そして開門岳登山口のある「かいもん山麓ふれあい公園」に 
到着したのは正午ちょうどであった。駐車場にハンターを停め、
山歩きの為の準備をして歩き始めたのは12時半を過ぎていた。
駐車場には開門岳から下山してきたと思しきグループが数名
おられた。入山するにはやや時間が遅いか。事前調査で頂上
まで二時間程度であるということを知っていたので、日没まで
には余裕で登って帰って来られるだろうと鷹をくくっていた。
いつも歩いているような獣道や藪漕ぎルートでは無く、相手は
よく整備された登山道である。標高も924メートルと高くはない。
ウエストポーチに昼食とGPS、デジカメを忍ばせて出発した。
 

    開門岳の登山道は鬱蒼と茂ったジャングルの中を一段掘り下げた
 沢のような道が続く。途中に残りの距離や案内の看板が掲げられてお
 りベンチもあった。もう至れり尽くせりである。しかし路面の土がかなり
 ズルズルになっていて滑り易かった。しばらく歩いて行くと石がゴロゴ
 ロと転がるようになる。そして続々と下山する人と擦れ違った。結構本
 格的な装備の方が多く、ストックで小走りしておられる方もいた。
 歩き初めて10分もすると暑くなってきた。山頂は寒いかなと思い、ライ
 ディング仕様のままでやってきたのである。インナーに着ていたユニク
 ロ製中綿素材のジャケットを脱いで腰に巻いて歩く始末だ。
  最初はかいもん山麓ふれあい公園にあるグラススキー場のスピーカ
 ーから流行りの音楽がガンガン聞こえていたが30分も歩くと全く聞こえ
 なくなっていた。しかし相変わらず鬱蒼と茂ったジャングルの中なので
 今どの辺りを歩いているのか全く解らない。GPSを見ると衛星をロスト
 している。どうやらここでは使い物にならないようだ。


しばらく行くと左手の木々の向こうに海があるようだ
 
一〜二箇所だけ展望が開ける箇所があった

 山頂まで残り1.6kmの看板を過ぎ少し進んだところだったか。
今まで解り易く迷う心配も全く無かった登山道が右画像のよう
になっていた。登山道は左手に延びていたのだが、私は誤っ
て右手に行ってしまった。50m程進むとこれまでの登山道のよ
うに最近歩いた足跡も無くなっており落ち葉が堆積していた。
傾斜も急になり倒木が何本も現れたのである。すぐに道を間
違えたことに気がついたが、その50mを戻るのがしゃくだった
ので強引に突破することにした。しかし途中で道は無くなり藪
が立ちはだかるのである。それでもこの斜面を歩いて行けば
登山道に出るだろうと藪漕ぎの強攻策に出たのである。
 

 まさかこの南方の地で藪漕ぎをするハメになろうとは。これもホハレ意地悪地蔵ホハレのお地蔵様
の思し召しであろうか。しかし進めど進めど状況は悪くなるばかりである。20分程急斜面の藪を漕いで
行っても登山道に出る気配が全く無い。GPSを取り出だすも相変わらず衛星をロストしたままで無用の
長物である。登山道を逸れて30分程経過した時点で結局観念し、斜面を滑り降りて行ったのであった。
登山道に復帰してから現在地を確認すると、先ほどの逸れた地点から200m程しか進んでないことが
解った。約30分の藪漕ぎで体力も貴重な時間の両方を浪費してしまったのであった。しかも斜面から
登山道に復帰したところを他の登山者に見られてしまった。「凄いところを歩いていますね」と言われ
てしまい「恥ずかしながら道を間違えてしまいました。」などと返すのであったorz

    頂上まで1.2kmを切ると展望が開け始め、大きな石をつたって進まなけ
 ればならなくなっていた。最初は整備された登山道だからと舐めていたが
 30分の藪漕ぎのせいもあってかなり息があがっていた。しかし他の登山
 者と擦れ違う時はそれを悟られまいと背筋をピンと伸ばして爽やかに挨
 拶するのであった。しかし残り1kmを切った頃にはそれもできぬ程にシン
 ドくなり、挙句5歳くらいの男の子に「頂上はとても景色が良いですよ」と
 励まされる始末であったorz
  九合目を過ぎると岩場に木製の梯子とロープが降ろされていた。この
 辺りから頂上まで一気に高度を上げるようだ。腰に巻いていたユニクロ
 製中綿ジャケットが邪魔で仕方なかったので道端の木に縛りつけておい
 て山頂を目指すことにした。

 そして頂上に立つことができたのは2時半ちょうどであった。 
頂上には2〜3組の登山者がおられたが私が着いてしばらくす 
ると皆下山していかれた。入山時刻がやや遅いかなと焦りなが
ら急ぎ足で登ってきたが、逆にそれが幸いして開門岳山頂を
独り占めすることができたのである。しかしかなりシンドい。
山頂で昼食をと思っていたがあまりのシンドさに食欲が完全に
失せてしまっていたのである。山頂で記念撮影をしているとか
なりお年を召された方が登って来られた。私が最後の入山者
だと思っていたが、私が下山するまでに三人程登って来られた。
この時間帯に登って来たほうが人も少なく落ち着けるようだ。
 


開門岳山頂より佐多岬を望む
 
山頂より南方の海を望む

 先ほど吐きそうになって道端でうなだれている私を励ましてくれた男の子の言っていた通り山頂か
らの眺めは最高であった。眼下にはイッシーのいる池田湖も見える。遠くには佐多岬も望める。
昨年泊まったキャンプ場も見え、そういやまだ料金払ってなかったことを思い出してしまった。

 開門岳山頂より下山しようと歩き始めると、山頂に広がる藪の中からガサゴソと音がする。何かと
思ってそちらを見ると藪から人が出てきたのである。凄い!こんなところで真の藪屋と会えるとは。
思わず「藪漕ぎですか?」などと声をかけるのであった。話をしてみると昔は山頂のこの藪の中を周
遊する道があったそうだが今では完全に獣道と化しているとのことである。とても心惹かれたがこの
藪漕ぎコースを一周するのに一時間程かかったと仰っており、藪漕ぎは先ほどやってきたので、また
次の機会に挑戦することにした。下山する際に山頂に神社があるのに気がつきお参りもした。

 3時くらいに下山を開始してハンターを停めていたかいもん山麓ふれあい公園の駐車場に戻って
きたのは4時半であった。今日の宿は鹿児島市内のビジネスホテルに予約しているのでここから
鹿児島まで移動しなければならない。なんというか旅の最初からそうであったが慌しい行程がずっと
続いている。もうちょっと余裕をもって旅をしたいものである。

    指宿から鹿児島までは指宿スカイラインを走った。かなり
 快適な道であったが、こういったスカイラインコースは小排
 気量のハンターではやや辛い。下りは良いのだが登りはエ
 ンジンが悲鳴を上げるのである。どうも点火系統に不具合
 があるようでイマイチ調子が出ない。そろそろコンタクトブレ
 −カーを交換せねばと旅先で痛感するのであった。
  この指宿スカイラインを走っている途中で日没を迎えてし
 まったが途中の「アグリランドえい」から見た開門岳と風力
 発電の風車を背にした夕焼け空がとても印象的であった。 

 鹿児島市内のビジネスホテルに到着したのは夜の7時前くらいであった。ホテルにチェックインして
からすぐにコインランドリーで洗濯をする。その間に風呂に入る。風呂からあがると紅白歌合戦が始
まっていた。嗚呼、昨年に続いて鹿児島で年を越すことになるとは。
 風呂から上がり夕飯を食べに市内へと繰り出す。しかし開いているのは焼き肉屋とゲーセンくらい
なものである。昨年立ち寄ったラーメン屋に行ってみるも今年は改装の為休業中であった。途方に
暮れウロウロしていると夜の街の案内人に呼び止められてしまった。このままキャバクラに繰り出そ
うにもへとへとに疲れてしまっている。全くなんということか。開いているラーメン屋は無いかと尋ね、
数件教えてもらったがどれも閉まっていたので結局吉野家で夕飯を済ませることとなる。
 そして年越しの夜は昨年と全く同様、紅白や格闘技の番組を交互に見ながら過ぎていくのであった。
0時になるとそこかしこから港の船なのか車なのかは解らないが警笛が聞こえてきた。

 今日までの好天も明日からは崩れてくる予報である。残りの行程はタフな旅になることは必至であ
るので夜遊びなぞすることなく大人しくホテルで眠るのであった。

九州苦行ツーリング2006〜2007 その4へ続く
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