九州苦行ツーリング2006〜2007 その2

二日目 別府−人吉−加久藤峠−えびの−さつま町

 二日目は朝6時に目が覚めた。フェリーが別府に到着するのは6時30分なので結構な寝坊である。
慌てて起き、予め朝食として買っておいたパンを食べてから洗面所へ向かい歯を磨いた。部屋に戻ると
同時くらいに船が港に着岸したようだ。寝台の二階では身支度するのが難儀だったので荷物を持って
自動販売機ブースのベンチに行き、そこで手首と足首、そして首の後ろに使い捨てカイロを張ってから
ブーツを履いて靴紐を縛った。今回の旅からブーツを米軍仕様の編み上げタイプに新調したのであるが
これが脱ぎ履きに手間がかかるのだ。こうして冬装備にすると部屋(船内)の中では暑いことこのうえない。
すぐさまバイクを停めておいた車両甲板へと向かった。車と一緒でない一般出口はかなり混雑していたが
車両甲板へ降りる方の出口は全然であった。
 ハンターのエンジンをかけ甲板の誘導員に従いフェリーの外へ出る。昨年に続いての九州上陸である。
このフェリーからバイクで港に上陸する瞬間がたまらなく好きである。まだ免許を取り立てで中型バイク
にしては大柄なRF400RVに乗っている頃はツルツルの甲板に凸凹の橋げたでコけないか内心ハラハラで
上陸していたが、ハンターでは華麗にスタンディングを決めて余裕の上陸である。

 別府港に上陸した後、国道10号線をひたすら南下する。昨年は山間部へと進路をとったが、今日は
加久藤峠を探索してからなるべく鹿児島県の南の方へ行きたい。というのも今回のツーリングの天気予
報では晴れるのは今日と明日で、明後日の元旦からは天気が崩れるというのだ。なので明日には開門
岳登山を敢行したい。大分県は日本屈指の旧廃隧道王国であるので色々と寄り道をしたかったのもある
が恐らく山間部は積雪と路面凍結で閉ざされているはずである。ともかく今日は加久藤峠、明日は開門
岳登山とピンポイントで目的を果たすことにした。そして四日目以降の帰りの道中の天気次第で寄り道
できればしようと目論んでいたのである。

 別府に上陸した時はまだ真っ暗であったが大分市に差しかかる頃には明るくなっていた。日の出に映
える海面が美しい。大分市内はまだ人もまばらで閑静としていた。大分は高校の卒業旅行で親友二人と
青春18切符を使った列車旅で一度訪れたことがある。もう十年以上も昔の話なので記憶も曖昧であっ
たが、その時に泊まったビジネスホテルを見つけたのをきっかけに記憶が蘇ったのであった。

 大分市を抜け犬飼町に入る頃には手足が完全に冷え切ってしまっていた。防寒対策にぬかりは無かっ
たはずなのにどういうことか。そしてヘルメットのシールドには曇り止めを塗ったというのにやたらと真っ白
になっている。普通シールドを半開きにすれば曇りも無くなるのだがそれをやっても白いままなのである。
息を吐くとこれまた煙のようにもうもうとするのである。この時はここいら一体の地形の影響でシールドが
曇り易いのかなと思っていた。そして10号線から熊本へ向けて57号線に進路をとってすぐにその原因
が解った。橋の手前にあった「路面凍結注意」の電光掲示板の下に表示されていた気温はなんと−3℃
だったのだ。シールドが白く曇っていたのは実は水滴が完全に凍ってしまっていたのである。幸いにも路
面が凍結していることはなかったが、やたらと寒いと感じたのはこのせいだったのだ。たまらず道の駅あ
さじで休憩を取ることとした。ハンターのエンジンの余熱と自動販売機の缶コーヒーで冷え切った手足を
暖める。地元の方と思しきドライバーから話しかけられて思わず「九州ってこんなに寒かったんですね」
などと泣き言を漏らしてしまったのであった。

 陽が昇り、身体に当たるようになるとだいぶ暖かく感じる。そ 
して竹田市を抜け熊本県に入ると阿蘇山とその周辺のカルス
ト大地が見えてきた。これでようやく気分も盛り上がってきた。
阿蘇へ来るのはもう三度目であるがやはり美しい。空気が澄
んでいるのか遠景の山々もくっきりとよく見えるのだ。しかしな
がら先を急いでいたこともあり、積極的にこれらの景色を写真
に収めることをしなかったのが悔やまれる。その時は心に刻み
つけるのだなどと自分に言い聞かせていたのだが、やはり帰っ
て来てからいつも後悔するのである。57号線から265号線に
乗り高千穂へ向けて南下する。この265号線からの景色もか
なり絶景であった(無論、写真には収めていないorz)
 

 265号線を南下し熊本と宮崎の県境付近までやって来た。このまま南下し続けるか、進路を西へと
とり八代海に抜けるかしばし悩む。積雪と凍結の恐れが無ければ迷わずこのまま南下して椎葉村を
目指すのだが地図を見れば見るほど怪しい。ガソリンスタンドの若いあんちゃんはたぶん大丈夫みた
いなことを言っていたが、これまでの探索やツーリングでは何度もガソリンスタンドの店員の情報にヤ
られている。雪が無くても椎葉村を通るルートで加久藤峠のある人吉まで行くには時間がかかりそうだ。
なのでおとなしく国道218号線を西進することにした。

 このまま218号を西へ走り国道443号を経て八代へ抜けるルートは昨年走ったのと全く同じである。
幾ら迅速に加久藤峠を目指すといってもこれでは面白味に欠ける。途中思い切って国道445号線に
進路をとり南下を試みたが、入ってすぐに現れた電光掲示板の「国道445号この先二本杉峠より先、
路面凍結によりチェーン必要」 の文字に恐れを抱いて即座に撤退した。
 結局八代へ抜けるルートに戻るが、国道443号線に入りしばらく走ると今度は県道25号線との分岐
に差しかかった。この県道25号を南下すれば先ほど撤退した国道445線をかなり南に行ったところで
合流する。そこまで行けばもう積雪や凍結はないだろうと考え、県道25号大通越ルートをとることにした。

    県道25号に入るとまたしても「チェーン必要」の文字があった。
 ただ今度は電光掲示板ではなく白のホワイトボードにマジックの
 手書きである。電光掲示板ほどの貫禄が無かったので、なんと
 かなりそうな気がしたのである。それにもう年の瀬も差し迫って
 いるし熊本県も看板掲げたまま撤収するのを忘れたんじゃない
 かと全く根拠の無い憶測をしてこのまま進むことにした。
  標高を上げて行くと路肩に薄らと残雪が見受けられるようにな
 る。しかし大通峠まではいとも簡単に辿り着くことができた。やっ
 ぱり熊本県が看板を撤収するのを忘れたのだと思った矢先、
 峠から先の下り区間で見事な凍結路面が姿を現したのである。
  これでは昨年の耶馬溪での惨事と全く同じ状況だ。

 しかし凍結区間はほんの20メートル程である(上の画像。人吉方面より振り返って撮った写真)。昨年は
耶馬溪の県道を通り抜けた時と大石峠隧道探索の際にもっと長い積雪凍結区間を走っている。これなら楽
勝だと躊躇することなく突っ込んだ。
 だが思ったより坂に傾斜があり、しかもカーブしている。それにややオーバースピードで突っ込んだので
凍結路で絶対やってはいけないフロントブレーキをかけ、更にハンドルをちょっとだけ切ってしまったのであ
る。「滑る!」と思ったと同時にハンターは横に滑り倒れてそのままガードレール方向へツーッと私と一緒に
滑って行くのである。瞬間谷に落ちると思い、滑っていくハンターを掴むが制動をかける手立てが全く無い
のである。ガードレールの下をくぐり抜けんとするハンター。もうどうすることもできない。ダメかと思った瞬間
辛うじてミラーがガードレールに引っかかり寸前で止まったのであった。愚かにも油断してしまい、もう少しで
ハンターを奈落の底へ落とすところであった。凍結路を走ったことがあるというおごりが今回の転倒を招い
たのだ。すぐに倒れたハンターを起こそうとするが、路面がツルツルテンで起こすことができない。仕方無く
足がグリップできるところまでハンターを強引に滑らせてなんとか起こすことができた。

 こうなってしまうと完全にナイーブである。いつ凍結路が現れるやもしれないとビクビクしながら走る始末だ。
幸運にもこの先凍結路が姿を現すことは無かったが、移動速度はかなり落ちたのであった。
そして今日の最大の目的地である加久藤峠の旧道入口に辿り着いたのは昼の2時過ぎである。

 路面凍結や積雪が心配された加久藤峠だが、水溜りの表面が 
薄ら氷っているくらいで走行に全く影響はなかった。そして県境を
越え、峠を越えてふとメーターをみるともうすぐ55,555kmではない
か。インターネットを始めてからというもの、この世界はやたらとこ
ういったキリ番に拘る文化があることを知り内心それがどうしたと
冷めた目で見ていた。当時やっていたフレンドファインダー然り、
今あるソーシャルネットワーキングサイトなどでも「○○さんがキリ
番を踏みました!」とかあるのを ( ´_ゝ`)フーンと見ているわけで
あるが、自分のバイクのメーターがキリ番になると嬉しくてこうして
写真に収めてしまうのである。全く現金なものである。
 

 加久藤峠を探索し終えて新道に戻って時計を見るともう3時半であった。そろそろ今夜の野営地を算段
しなければならない。ツーリングマップルを眺めしばし考える。明日は開門岳登山が控えているのでなる
べく指宿まで近づきたい。そして野営地の近くに温泉か共同浴場の施設があるところがいい。鹿児島市に
程近い蒲生町辺りなら日没前までに辿り着けそうだし、上記条件に当てはまりそうだ。

 しかし途中で県道40と50を間違えてしまった。いちいち止まって地図を見るのが面倒臭がっていたのが
災いした。間違いに気がついた時には既に鹿児島県の北方にあるさつま町まで来てしまっていた。
もう日没が迫っていたのでこの付近で野営地を探すことにした。しばらく迷走したが鶴田ダム下流付近の
林道脇に広場があり、全く往来する車も無くまた程近くにあび〜る館という浴場施設があったのでここで
野宿することに決めた。テントを設営してからすぐにあび〜る館へ向かった。¥300でサウナやジャグジー、
歩行浴、露天風呂その他もろもろかなり設備が充実していた。なにより冷え切った身体で湯に浸かるのは
このうえない幸せだ。
 あび〜る館から野営地に戻ってきた頃にはすでに辺りは真っ暗になっていた。これから夕飯の支度である。
今回は荷物がかさばるのを防ぐべく「サトウのご飯」では無く生米を持っていって炊くことにした。野営地には
水場が無かったのであび〜る館で仕入れてきた500mlのミネラルウォーター1本で洗米と炊飯をした。炊飯の
際に鍋の蓋の上にレトルトの「すき焼き丼」を乗せておくのだ。ご飯が炊けて蒸らしが終わる頃にはすっかり
温まっている。なんという合理的な方法であろうか。米もまずまず美味しく炊けてご馳走にありつくことができた。
 食事を終えてテントの中に入りシュラフにもぐる。外はおそらく0℃近い寒さである。新ホハレ峠探索の際に
導入した「スペース暖シートポカポカ」を床とシュラフの上に敷いておいたので備えは万全だ。まだ寝るには
ちょっと早かったので持ってきた携帯ラジオなんぞをつけてみる。AMラジオを聴こうとチューナーを合わせる。
しかし細かくチューニングしてみるのだが何故かどの日本語の放送局よりもお隣の国の放送がノイズも無く
鮮明に入るのである。そしてあまりにノイズの多い日本語の放送に辟易として仕方なくFMに切り変えて聞くこ
とにした。今日はほぼ一日走り続けていたし結構疲れていた。九州は熊に怯えなくていいのが嬉しい。夜の
8時前には眠りについたのであった。           九州苦行ツーリング2006〜2007 その3へ続く

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