九州苦行ツーリング2006〜2007 その1

 2006年を一言で表せばまさに”忍耐”の年であった。これは自身の仕事や私生活においてのことでは
あるのだが精神的にかなり追い込まれていた。姿かたちを変えて来襲する困難をのらりくらりと交わし
つつ、動かねばならぬ時には動いてこれに対処した。しかしながら混沌とした状況は2007年に渡って依
然続くのである。ハンターや"道"における2006年は目覚しい躍進の年であったと言える。前半は新機に
05年式豪州仕様ハンターを導入したグロメク氏と共に近隣のアタックコースと呼ばれる林道支線に果敢
に挑み続けた。後半は未知なる廃道"新ホハレ峠"突破の為に全てを費やしたといっても過言ではない、
その甲斐あってこれを辛うじてではあるが突破することができたのはまだ記憶に新しい。
 そして息つく暇も無く年末年始がやって来た。日々生きる糧を得ている私の勤める会社は給料だけで
なく休みも少ないのだが年末年始の休暇は8連休と大判振る舞いである。恥ずかしながら金は無いが
何かと自由気ままに動ける身分にある。となれば、することはただ一つ。ハンターにテントとシュラフを積
んで野宿旅に出るのである。とことん独身貴族を桜花してやるのだ。

一日目 京都−大阪南港 さんふらわあにしき

 年の瀬も差し迫った12月29日、私は大阪南港発の別府行「さんふらわあにしき」に乗っていた。昨年と
全く同じ日に全く同じフェリー航路である。今回の目的は昨年積雪と凍結により行く手を阻まれた加久藤
峠(堀切峠)の探索と開門岳登山と決めていた。本当は鹿児島志布志行きか宮崎行きのフェリーのチケ
ットを取りたかったのだが残念ながら既に満席だったのだ。これというのも最初の予定では行きを山陽
道沿いに陸走し、帰りに鹿児島志布志からフェリーで帰って来るつもりであった。しかし直前の天気予報
によると大晦日までは天気は大丈夫だが元旦以降は崩れるらしいというのだ。これでは九州に上陸した
途端に雨に降られることになる。急遽予定を変更して行きにフェリーを使うことにしたのだ。が、年末の帰
省シーズン、しかも乗船一日前ではチケットが取れるはずもなかった。別府行きの航路のチケットを取る
ことができたのは幸運だったと言えよう。

 はてさて昨年は甲板上でラーメンを食べ、酒類をガンガン飲んだ挙句失神した 
訳だが、今回は二等寝台でおとなしくビール一本と酎ハイ一本にとどめておいた。
昨年の轍を踏まぬようにというのもあったがかなり疲れていてそんな元気は無か
ったのである。というのも今朝は6時起きで部屋の掃除や洗濯をし、旅の備品の
買い出しに赴き身支度をしていたのである。そしてこの日はこの冬一番の大寒
波が押し寄せた。猛吹雪の中買い出しに行くのも命がけであった。そして京都か
ら南港までの道中がえらく混んでいた。二時間程で行くつもりが三時間近くもかか
ってしまいフェリー乗り場に辿り着いたのは出航30分前だったのだ。年末という
ことでやはり船は満席で乗船手続きも長蛇の列ができていた。そんなこんなで朝
からずっと慌しかったので乗船する頃にはもう既にヘロヘロであった。
 

 それでも乗船して自分の寝台に荷物を置いて真っ先に向かったのは風呂である。レストランは既に満席
で人が並んでいる程だったが浴場はガラガラであった。身体を洗い湯船に浸かると同時に船が動き出した。
浴場内の窓から港が徐々に遠くなって行くのが見える。今年の年末年始もやっぱり旅なのかと感慨に耽る。
 夕飯は風呂の後に寝台であらかじめ買っておいたおにぎりなどを食べた。フェリーに乗船して全くお金を
落とさないのは気がひけたので酒類とつまみ類は船内の売店で購入した。それにしても昨年もそうだったが
さすがに帰省シーズンだけあって船内は家族連れが多く本当ににぎやかである。しかしながらこの喧騒した
状況は年の瀬が感じられるし悪くは無い。どうせ明日の夜はどこかの山中で一人寂しく夜の闇と獣に怯えな
がら野宿しなければならないのだから。
 それにしても夜は寝苦しかった。異様に暖房が効いているのだ。風邪をひかぬよう着込んでいたのだが、
終いにはタイツとTシャツで掛け布団無しで寝ていた。それでも暑かったくらいである。夜中の0時くらいに一
度目が覚めて用を足しにトイレに行ったが今年は排尿失神することなく事なきを得た。
上々の旅の滑り出しである。                九州苦行ツーリング2006〜2007 その2へ続く                                

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