続・ホハレ峠3
路上河川を渡った先に建物が確認できた。1200時 ついに門入に到着である。まっ先に目に飛び込んでき た建物が新しめだったのでやや拍子抜けであったが、 この路上河川を渡って門入の集落に入るシチュエーシ ョンは感慨深いものがあった。グロメク氏と固い握手 を交わす。これまでの苦難に満ちた道程の疲れを癒す べく昼食をとることにした。最初はガスコンロで暖か いカレーを作るつもりだったが、これからまたベンリ ーとハンターのいるホハレ峠まで戻らねばならない。 あまり悠長に昼食をとっている時間はないと考え、各 々持参した握り飯で簡単に済ませることにした。 |
門入に抜けると言う目的は果たせたものの家に帰る までが廃道探索なのである。ベンリーとハンターを置 き去りにしてきたホハレ峠までいかにして戻るか…。 これまで辿ってきたルートをそのまま戻るという選択 肢は即座に抹消した。下りであれだけ難儀させられた 沢歩きを登っていくなんてとんでもない話である。途 中、支流がいくつも存在してたので来たルートと同じ 谷筋を辿っていけるかも怪しい。グロメク氏も私も遭 難する恐れがあるということで意見は一致した。遭難 せずに確実に戻る方法…村道を戸入を経て国道417号 に抜け、横川ダムを回って坂内村に戻ることにした。 |
門入に到着してから雲行きが怪しくなり、小雨がぱ らついてきた。まるでこれからの道中を暗示するかの ようであったが、まだ歩き始めの頃は我々は意気揚々 としていた。旧徳山村の山々もいい感じで色付いてお り非常に眺めが良い。が、元気があったのはせいぜい R417に抜けるまでである。途中何度か後ろから車が やってきたが、ヒッチハイクする勇気がでなかった。 グロメク氏も私ももう結構いい年である。おまけに沢 歩きをしてきてるのでなんだかドブネズミのような様 である。物欲しげに車のドライバーを見つめるが、皆 いぶかしげな顔をして通り越して行くのであった。 |
R417へ抜けてからはもうグロメク氏も私も歩く屍と化していた。最悪、門入で声をかけた青のパト
ランプのおじさんが後から来てくれる。それのみを信じてひたすら歩いた。建設中である徳山ダム事務
所がある所の九十九折れの坂をよぼよぼと登りその先のトンネルに到達した頃には日没を迎えていた。
トンネル内のわずかな歩道スペースを歩く。途中何台か後ろから車が通過して行ったがとても驚いた
に違い無い。そしてトンネルを抜けると二台の車がハザードランプを点滅させて待っていた。
私が「こんばんは」と声をかけると何処へ行くのか訪ねられた。これまでのいきさつとホハレ峠まで
戻ることを話すとなんと送っていってくださると言う。なんでも戸入でもとぼとぼ歩く我々を見かけて
いたらしい。今回は仲間うちでキノコ狩りに来られていたらしく、二台に分乗されていたのを我々の為
に一台空けてくださったのだ。本当に頭が下がる思いであった。今回送ってくださった方は旧徳山村で
教職員をされていたそうで、ホハレ峠や王子製紙の作業道の話もたくさん聞かせていただいた。とても
山を愛している素晴しく粋な方であった。車の運転もさすがであった。ラリーもやっているらしいこと
を仰っており、坂内村のホハレ林道起点まで送ってもらえたらそれでもう充分すぎるくらいだったのだ
が、パートタイム4WDの車を4駆に入れ、夜のホハレ林道をガンガン分け入って行かれるのであった。
国道走行中も結構アグレッシブにコーナーを攻められており、グロメク氏は完全に車酔いしている様子
であった。結局、未舗装になるところまで送ってもらったのだが、峠まで夜道を歩くのだからとヘッド
ランプをくださり、お腹が空いてるだろうとパンとおにぎりまでいただいた。もう本当に感謝してもし
きれない。何度もお礼を言って夜のホハレ林道内でお別れした。
車中ではグロッキー状態だったグロメク氏も歩き始 めると息を吹き返した。が、夜の未舗装路は真っ暗で 不気味である。リュックに備えてあったラジオを取り 出しスイッチを入れると松田聖子の歌(チェリーブラッ サムだったか)が流れている。こんな山奥なのに夜だか らか受信状態も良好であった。その時である… グロメク氏が驚いたような動作をとり、こう叫んだ。 「なんかオッサンみたいなのがおった!」 その瞬間全身の毛が逆立った。が、こんな時に恐怖に 支配されてしまっては生きて帰れるものも帰れなくな ってしまう。必死で冷静さを保ちつつ、尋ねてみる。 |
そして1850時。お地蔵さんの居られる旧ホハレ峠 |
1920時、無事にホハレ林道起点に到着。さすがに |