大石峠隧道

 年の瀬も迫った12月30日。ハンターと私は九州にい 
た。ORRの道路調査報告書に於いて史上最強の隧道とう
たわれた大石峠隧道をこの目で見るが為に京都からはる
ばる此所までやってきたのである。通常Web上で画像に
なってしまうと強烈な異彩を放つ物件も大人しく見えて
しまうものだ。が、大石峠隧道はその定説を大きく崩し、
とてつもないインパクトでパソコンのディスプレイから
私の目に飛び込んできたのだ。既に崩落が始まっている
とのことで、明日の命も知れないこの隧道がその形を留
めているうちに実際にこの目に焼きつけておきたかった
のである。


  大石峠隧道は奥耶馬トンネル上にあることは事前調査
 済みである。最初は山国側から隧道までアクセスしよう
 としたが場所がよく解らず、しばらく付近の集落を俳諧
 していた。国道以外の道路には雪が積もっており、場所
 によってはアイスバーンになっているのだ。何度も転倒
 しそうになり、これでは埒があかないと考え日田側から
 アクセスすることにした。日田側からはトンネル坑口左
 手に旧道らしき道が延びていたので 恐らくここだろうと
 ハンターを前進させる。御覧の通り雪が積もっているの
 だが、降って積もったままの状態なのでタイヤも思いの
 外よくグリップしてくれた。



しばらく進むと右手に畑と思われる敷地がみえてきた
 
さらに進むと分岐が現れる

 日のあたるところは雪は溶けているのだが、ほとんどが杉林が鬱蒼と繁っ 
た森の中に道が続いている。よって20cmほど積もっている雪をラッセルし
て進まねばならない。途中に畑と思しき敷地があったが、さすがに今の季節
に立ち入る者は皆無である。これまでの道程も車両はおろか人が通った痕跡
は全く見られない。なのでひたすらラッセルが続くのである。
 畑を過ぎてしばらく進むと分岐が現れる。一瞬どちらに行こうか迷うのだ
が、左手をみるとweb上で見たあの"穴" が向こうに見えているのだ。その穴
へ向けて一気に突進するが勾配になっており、また積もった雪が抵抗となっ
てやがてハンターの車輪が止まってしまった。ハンターでのラッセル、もと
い前進はここまでとし、残りの20mを徒歩で進み"穴の"入口に辿り着いた。
念願の大石峠隧道日田側坑口に到着である。



大石峠隧道日田側坑口
 
隧道内部。崩落した土が堆積してフカフカになっている

 大石峠隧道は向こう側の坑口が見えているが、隧道内部で徐々に崩落が始まっており非常に危険な状
況であった。私がこうして現場に滞在している時にも隧道内部上方からパラパラと土が落ちていたので
ある。坑口付近に積もった雪も上から落ちてきた土や石で茶色く染まっていたのだ。無論ここを通り抜
けることはとてもじゃないが出来なかった。それに私が無理矢理通り抜けることでこの隧道の寿命が縮
まってしまうことを懸念したからだ。と、言い訳しておこう。

  続いて山国側の坑口へのアクセスである。日田側坑口
 へ辿り着けたことで隧道の位置関係が把握でき、旧道の
 入口を見つけることができた。最初付近を通った時には
 まさかと思って通り過ごしたが、民家のすぐ裏手の畑に
 入って行くような道が旧道だったのである。こちら側も
 雪が積もっており坂の勾配もかなり急だったので、ハン
 ターを置いて徒歩にて前進することにした。山国側もや
 はりというか何人たりとも通った痕跡は見られなかった。
 雪道を踏み締めながら歩いて行くと廃道探索家にはお馴
 染みの通行止の看板があり、その向こうにやはり"穴"が
 口を開けて静かに佇んでいたのである。


雪に埋もれた通行止の看板


その先に静かに佇む大石峠隧道山国側坑口

 山国側は日田側に比べて崩落がまだ少なく坑口の輪郭 
がはっきり見られる。画像では伝わりきらないがこの穴
はかなり巨大である。もともとは車一台がやっと通れる
くらいの幅と高さであったのが、地質のもろさが災いし
て隧道内部が徐々に崩落して広がっていったものと思わ
れる。実際にこの巨大な"穴"を目の当たりにしてしばら
くその迫力に圧倒されてしまった。
 しかしやはりこの隧道の寿命はそれほど長くはなさそ
うであることは実際に見て痛感させられた。なんとかこ
の姿のまま持ちこたえて訪れる廃道探索家をたまげさせ
てほしいものである。

 今回はwebでその存在を知って現地へ赴いたのだが、何の予備知識もなくこの道路遺構を目の前にし
てぶったまげたかった・・というのは贅沢な望みであろうか。                

探索トップへ戻る