九州遠征1

 思い返せば2005年は激動の年であった。"道"関連においてはこの年最初の探索がかの岐阜県道352
大西瑞浪線であり、その後は近隣の名立たる大物廃道に連戦を仕掛け、当サイトを公開に踏み切った。
それから世界は一気に広がり、今後の私の生き方の指針におおいに影響を与えると言っても過言でない
様々な出会いがあった。本業(仕事
)においても10年近く慣れ親しんだ職場を離れて全く異なる分野の畑
に送り込まれた。その他諸々
メガトン級の変化が押し寄せ本当にタフな1年だったのである。

 それで2006年は落ち着くのかと思いきや、そうは問屋がおろさない。さらなる変化や試練が待ち受
けているのが既に解っているのである。今度の正月休みは8連休。職場が変わって以来、連休というも
のが皆無で泊まり込みで何処かに出かけることができなかった憂さを晴らすべく、また改めて自分自身
を見つめるべく実に10年ぶりとなるロングツーリングを敢行することにしたのだ。
 行き先は九州。11年前の夏、何かに苛立ち、怯え、何かを求めて野犬のごとく彷徨った地である。

 九州へは大阪南港から別府行きの長距離フェリーを 
使って上陸することに。ロングツーリングも10年ぶり
ならバイクと共にフェリーに乗るのも10年ぶりである。
ライダーは私1人のようだが、チャリダーは1人いた。
私が南港に到着して乗船手続きを済ませた頃には既に
出航20分前くらいだったが、まだトラックや車の搬入
が続いていた。この船に乗り込む時の騒然とした雰囲
気は相変わらずでそれがなんとも懐かしく感じた。
またこれから旅が始まるという期待感が嫌がおうでも
高ぶってくる。

 行きの船はちょっと奮発して2等寝台をとった。翌日には朝一から超大物級の物件探索が控えている
ので英気を養っておきたいと考えたからだ。さすがに年末、帰省シーズン真っただ中で船内は今まで経
験にない程混雑しており、船内のレストランは既に長蛇の列ができていた。夕食は船内に乗り込む前に
済ませておいたので、自分の寝台に荷物を置いてすぐに風呂へ向かった。大浴場は人もまばらでしてや
ったりである。身体を洗い終えて湯舟に浸かると船が動きだした。出航時刻である。
 風呂に入った後は特にすることもなく、あとは明日に備えて寝るだけなのだがまだ夜の7時を回った
ばかりである。久しぶりの船旅、明日には九州に上陸してツーリングの幕開けとなる。高ぶる気分を押
さえ切れず、じゃがりこと茎ワカメを肴に缶ビールで乾杯することにした。調子に乗って一気に3本空
け、すっかり酔っぱらってしまった。まだいつもの寝る時刻には到底及んでなかったが、明日に備えて
ゆっくりと休むことにした。
 が、思いも寄らぬトラブルが待ち受けていた。夜中(といっても10時過ぎ)に用を足しにトイレへ行っ
たのだが、用を足し終えて立ち去ろうとした瞬間に「アレ、なんかぐるぐる回っているなー」と思った
途端記憶が途絶えた。次に気がついた時には天井が視界に入っていた。ここで初めて気を失ったという
ことに気がついた。排尿失神というヤツである。これまでに何度か見舞われたことがあり医者にも相談
したのだが特段心配することはないそうだ。しかし気を失って倒れた時に後頭部を強打して大きなたん
こぶをつくってしまった。旅の始まりから大きくつまづいてしまった九州遠征である。

1日目 別府−阿蘇

  船が別府に到着したのは6時20分で辺りはまだ真
 っ暗であった。九州と言えど寒い。おまけに昨晩強打
 した後頭部が痛く、どうも本調子ではない。こんなん
 で本日予定している大石峠、川原の両隧道の探索がで
 きることやらとすっかり弱気になっていたが、とにか
 く進まねばならない。院内から耶馬渓へ抜けるのに天
 下の国道ではなく県道を使うことにした。心配してい
 た雪であるが、日陰や路肩には薄ら残っていたが路面
 の方は全く問題は無かった。そして町境近くに差しか
 かると巣堀りトンネルが姿を現した。これですっかり
 機嫌を良くし、先程までの身体の不調も吹き飛んだ。

 しかし、耶馬渓側に入った途端に路面の様相はがら 
りと変わっていた。テカテカのアイスバーン状態であ
る。既に峠のピークは越していたので残雪地帯もすぐ
に無くなるだろうと思って100m程進んでみたが、一
向に無くなる気配がない。このままでは先にも後にも
引けぬ状況に陥りそうなので一旦ハンターを降り、徒
歩にて偵察をすることにした。しかし歩けど歩けど白
い路面は果てることなく続いていたのだ。もはやこれ
までと撤退を考え、別ルートの国道を使おうと思った
が地図をみるといかにも険しそうな感じである。残雪
がないという保証はどこにもないのだ 。

 峠のピークは越していたし、ここはやはり強行突破しかないと思い前進することにした。神大滝林道
の一件(峠を越して下りが続くと思いきや、とんでもない激坂が待ち構えていた)があるので全く予断を
許さなかったが1キロ程進むと白い路面は途切れて穏やかなものになっていた。
 のっけから思いもよらぬ障害が待ち受けていたがなんとか越えることができ(と言いつつも一度転倒
してハンターの下敷きとなったが )その後に大石峠、川原の両大物隧道を無事に探索することができた。
また到底無理と諦めていたやまなみハイウェイも全区間走ることもでき、上々の滑り出しを見せた九州
遠征1日目であった。                         九州遠征2へ続く
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