ホハレ峠2009春 その2〜・門入バーベキュー・〜
ホハレにあの男が帰ってきた。旧ホハレ峠のお地
蔵さん前にいたのは、旧峠・新峠を共に探索したホ
ハレマイスター"Gromex"氏である。氏にとっては
2006年の新ホハレ峠王子製紙道越え以来、実に
3年ぶりとなるホハレである。あの後に行われたホ
ハレ探索にもしつこく誘っていたのだが、3年前の
地獄の藪漕ぎ行軍で二度とホハレには行きたくない
と頑なに断られていたのだ。それほどまでにあの時
の探索は過酷なものだったのである。あれから幾つ
も廃道探索、山行をしているが、あれを越えるハー
ドなものは今のところ無い。 |
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2時間に及ぶ急登の藪漕ぎで旧ホハレ峠のお地蔵さん前に辿り着いた時にはほうほうの体
であった。しかもちょっと遅刻してしまった。gromex氏は私が着く少し前に到着したようで出発
の準備をしていたので、その間に休ませてもらった。
氏にもホハレ峠の旧道ならぬ急登探索をお誘いしたがこれまた頑なに断られた。行かなくて
大正解である。登りでは全く旧道の痕跡を見つけることができなかったので、復路でお地蔵さ
んの横から急登を下って探索しようと思っていたのであった。
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AM10:30に門入を目指して旧ホハレ峠を出発。
今回の目的は門入で一泊のキャンプをすること。
無論、門入までのアクセスは徒歩道として整備され
た旧道を使う。3年前に次に来る時は門入でバーベ
キューだという誓いを果たす為である。車道アクセス
が不可であるのでキャンピングカーで乗り付けること
は残念ながらできなかったが。よって私のザックの
中身はテント、シュラフなどの基本装備の他に缶発
泡酒350ml×6本に肉や野菜がギッシリ詰まってい
たのである。これを背負っての急登は本当に堪えた。 |
初めて門入の地を踏んだ時は徒歩道も無く、眼下に
流れる黒谷の沢をすっ転びながら下って行ったもので
ある。ちょっとした連瀑帯があるのだが、よくもまぁあん
な所をあの時の軽装備(gromex氏はスニーカー、私に
至ってはライディングブーツ)で歩いて行ったものだと
氏と話しながら快適に整備された徒歩道を歩く。
私は先ほどの急登藪漕ぎでかなり身体はよれてはい
たが道は下りである。天気も良く、若葉が芽吹き始めて
いる奥美濃の山々はなんとも爽快だ。絶好の山歩き日
和である。 |
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そんなこんなで門入にはあっという間に到着した。
PM12:00ちょうどである。徳山ダム完成後に造ら
れた、ダム関係者の避難施設へ移動して昼食をと
ることにした。この避難施設、コテージの他にちょっ
とした集会ができそうな広い東屋に炊事・バーベキュ
ー棟がある。宿泊施設には誰もいないどころかトタ
ン板で封鎖されており、炊事棟の水道の蛇口は出
なかった。雨に備えて東屋の中にテントを張らせて
もらうことにした。 |
幕営の準備は終わったがまだ時間はたっぷりある。今夜飲む発泡酒を西谷川で冷やして
おいて、3年前に果たせなかった、徳山ダム完成で水没した戸入集落へ歩くことにした。

門入のダム関係者避難施設。2008年12月撮影 |
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 戸入へ向かって50分ほど歩くと西谷川の流れが止まっていた |
gromex氏といつもながらのしょうもない話や薀蓄
話、下世話な話をしながら歩き、戸入の町道水没
地点には1時間半程で到着。2年前の探索ではも
っと先まで歩いたので、あれ からまた水量が増え
たようである。水没した町道背後上に見えている
のはダム完成に伴い新たに造られた付替道路で
ある。この付替道路の先には船着場があるらしい。
ダムの関係者は徳山ダムから船で門入までアクセ
スしているのである。当初はこの船着場まで行く
つもりであったが、ここまでの歩きだけでかなり疲
れていたので取りやめである。 |
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ここで困った問題が起こった。左足の外側のくるぶしの下辺りが登山靴とこすれて痛むの
だ。最初はちょっと当たってる感じがするなという程度だったが、1時間半のアスファルト道
歩きで痛くてかなり歩きにくくなっていた。昨年秋にはアイゼンを装着して一日トレーニング
したのに大丈夫だったというのにどういうことか。先日、フリークライミング中に墜落した時
にこの箇所を強く打っている。ここへ今回、慣れぬ登山靴で重い荷物を背負って急登を歩
いてきた。かなり雑に歩いているので軽かった炎症も僅かにこすれている間に悪化したの
ではと思われる。帰りは靴紐を緩めたり、アスファルトなので思い切って靴を脱いでしまって
騙し騙し歩いて帰った。
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門入に再び到着したのはPM16:00。帰りの道
中で後からカブに乗る男性がやってきた。ここ門入
で滞在してらっしゃるH氏である。氏も藪に埋もれ
た古い峠道を散策していたというから好き物である。
あとでお話を伺う約束をして別れる。
門入到着後、西谷川で冷やしておいた発泡酒に
手をつける。朝から歩きとおしているし、ここは歩い
てしか来られない門入である、美味くない訳がない。
会社勤めを辞して久しいが、ストレスにまみれたウィ
−クデーから開放される金曜の夜に飲む生ビール
に匹敵する美味さである。いやそれ以上である。 |
その後、日も傾き出したのでバーベキューを開始することにする。バーベキューとは言って
も、ガスバーナーと小さいフライパンでちまちま焼肉をするという程度のものであったが。しか
し今回は我々にしては奮発して"牛"肉を用意してきたのである。gromex氏はアルコールを全
く受け付けない体質であるが自ら晩酌に付き合ってくださった。一本飲むのが精一杯なので、
残りは私が処理しなければならない。ここ最近すっかりアルコールに弱くなってしまったので、
ちょっと多めである。それではと途中から来てくださった門入在住のH氏に薦めるが既に焼酎
を飲んできたということで遠慮されてしまった。結局一人で全部飲み干すこととなる。H氏には
春の山の幸”ウド”を差し入れしていただき、徳山村に関する色々な話を聞かせていただいた。
本当に感謝感激である。H氏の門入でのお宅はお洒落なログハウスである。夜は赤色灯で
あかりを灯しており本当に暖かそうでいい感じのログハウスだ。表札が崩したローマ字表記
なので2年前に訪れた時は外国人が移住して住んでいるのだと勘違いしていたのであった。
はてさてバーベキューの方はちまちまとやったのが仇となって意外と食べられない。H氏と
同じく門入に在住しているAさん宅の犬二匹が匂いを嗅ぎつけてやって来たのでお裾分けする。
それにしてもこの犬達、肉は喜んで食べるがキノコ類は食べないセレブさである。
こうして門入の夜は更けていき、一日歩きとおした疲れもあったので21時前には就寝する
ことにした。夜は冷え込むと思ったが意外と寒くない。明日の天気予報は雨である。雲が広が
っていたので温度が下がらなかったのかもしれない。
翌日は朝6時前に起床。私の方は飲み過ぎが祟っ
て夜明け前まで頭は痛いわ、悪夢にうなされ夜中に
奇声をあげるわで散々であった。しかし起きてテント
を出ると酒も抜けてスッキリしていた。gromex氏には
酒臭いと言われたが。雨は夜中から降り始めて結構
な本降りである。しばらくしたら弱まるかなと思ってい
たが雨足は強くなる一方である。復路の黒谷の増水
が心配なので、撤収して午前のうちに帰途につくこと
に決めた。 |
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テントを撤収してザックへのパッキングが完了。H氏宅に赴いて挨拶とお礼を伝えて旧ホハ
レ峠を目指す。左足の痛みが心配だったが丁寧に足を運べば登りに関しては問題無さそうだ。
心配していた黒谷の増水も徒渉に差し支えはなかった。しかしもう一日遅かったらちょっとヤ
バかったかもしれない。かなりゆっくりじっくりとしたペースで歩いたつもりだったが、旧ホハレ
峠には2時間程で到着した。これまでに無い速いペースである。
旧ホハレ峠から私の81年式ハンターを駐輪しているところまでまだ歩かなければならない。
お地蔵さん横の旧道らしき踏み跡を転げ落ちるつもりだったが、左足の痛みでとてもじゃない
が無理である。それならばゆっくり林道を歩いて行こうと進んでみたものの、ちょっと耐えられ
ない位に痛みが走る。結局gromex氏の05式ハンターの荷台に乗せてもらうことになった。
それにしても歩いている時は暑いくらいだったが、少し立ち止まると寒い。バイクに乗ると更に
寒い。雨と風で身体を容赦無く冷やすのだ。
二日目に雨が降るのは予報で解っていた。しかし今回はそれを承知で探索を決行したので
ある。一度目の旧峠越え、二度目の新峠越え、何れも帰途は雨に降られている。やはり雨に
降られながら帰るのが我々のホハレ探索だと敢えて予定を組んだのである。藪漕ぎのキツさ
などは忘れることはなかったが、この雨の中でハンターの荷台に荷物をパッキングして、これ
に乗って京都まで帰らなければならないというひもじさは完全に忘れていた。さすがに心が折
れそうであった。gromex氏のハンターに乗せてもらっている時は終始パンクしないでくれと祈
っていた。81式ハンターを駐輪しているところまで乗せてもらった後、更に雨足が強くなってき
たたので氏には先に八草トンネル内の待避所へ行ってもらうことにした。私もザックを背負っ
たまま強引にハンターに跨り、後を追うが寒さに耐え切れず、3年前の探索と全く同じように
途中川上集落の公民館に逃げ込んだ。公民館の軒下でザックから荷台ボックスに荷物を積
み替えして防寒着などを着込んだ。
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八草トンネルの待避所内に行くとgromex氏が珈琲を
振舞ってくれた。本当に有難かった。トンネル内はもっ
と暖かいと思っていたが結構寒かったのである。防寒
着の上に雨具を装着してもだ。これから雨に打たれて
京都まで帰らなければならないという事実が重い。しか
しこれこそがホハレ探索なのだと氏と二人で苦笑してい
た。それに今回でホハレに一区切りつけるつもりだった
が旧道の急登の探索がうやむやになっている。まったく、
いつになったらホハレに区切りをつけられることやら。
この後、半泣きで京都まで帰ったのであった。 終
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